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Month: July 2008

  • (コラム)小泉純一郎の戦略コミュニケーションの本質3:小泉流50/50(フィフティー・フィフティー)の原則

    小泉総理大臣在任期間中の支持率はほぼ50%ラインの前後で推移してきた。 支持率が下がってくると小泉流サプライズを通じて支持率回復を図るというのが小泉政権のひとつのパターンである。サプライズとは意外性の演出である。小泉流意外性の創出には3つの特徴がある。 1.新しいものを取り入れる。 小泉メールマガジンの発行、e-Japan構想の発表、首相官邸でのぶらさがり会見など新たな試みを仕掛ける。日本のヴィジュアル系バンドの元祖であるX JAPANと小泉純一郎という組み合わせは実に妙である。 2.タブーを破る。 北朝鮮への電撃訪問、自衛隊のイラク派遣、靖国参拝などはタブーへの挑戦である。まだ若手で実績のない安部晋三を幹事長に任命するのもある意味この範疇である。 3.逆説的に行動する。 自民党の総裁でありながら自民党を批判する、総理でありながら霞ヶ関官僚組織を叩く、解散は不利と言われながらも解散するなどの“利”または“理”に合わない行動をとる。 小泉サプライズの狙いは強烈な反動を創り出すことである。その反動を利用して自らの存在感をアピールする。サプライズによって衝撃的なメッセージを打ち出し、50%は反対にまわるが、その反作用をテコにあとの50%をキープする。波風を立てるのが小泉流コミュニケーションである。日本的ではない。日本のコミュニケーションの伝統はなるべく波風を立てないことである。間接話法である。小泉流直接話法は欧米的といってよい。小泉流コミュニケーションの凄さは波風を立てるものと立てないものを峻別していることである。世論が二分される様な問題、つまり支持・不支持が50%ラインにならざるおえない問題において敢えて波風を立てる。50:50で勝負をかけてくる。その覚悟がある。30:70でも70:30でもない。世論を二分できないもの、50/50(フィフティー・フィフティー)にならない問題に関しては立場をとらない。解説的に話す、当事者意識がないと言われようと構わない。50%の人々が反対することによって、小泉メッセージは精彩を放つ。それをばねにメッセージ性を高めるのが小泉流50/50(フィフティー・フィフティー)の原則である。そこには最低でも50%ラインの支持率があれば自民党の派閥力学に勝てるという目算がある。 小泉流メッセージは映像が命。 政治家としてのメッセージ性の高さということでは小泉純一郎と菅直人が東西の両横綱である。しかしながら二人のメッセージ性の高さを支える構造が違う。菅直人はひとつのメッセージを伝えるのに多くの“ネタ”を持っている。そしてそのネタが必要に応じて機関銃の如く連射される。ネタとは経験、事実、事象、情報などである。ひとつのメッセージの下に多くのネタが論理的に、体系的に整理された構造をもっており、それが必要に応じてメッセージを伝えるために引き出せる思考回路をもっている。これが菅直人のメッセージ性の高さを支えている。小泉純一郎の場合はここで言うネタが少ない。逆にメッセージの言葉化が上手い。言葉化とはメッセージを簡単な言葉でキャッチコピー化する、理屈抜きの面白さを含んだ言葉、共感を与える言葉、誰でもが知っている一般的な表現だが小泉流の文脈のなかでは異彩を放つ言葉などである。文章ではない、言葉である。文章であれば、多くの言葉を理路整然と並べなければならない。言葉であれば、前後の脈略はどうでもよい。その言葉そのものが前後の脈絡を勝手に作ってしまうほどにメッセージを含蓄した言葉化が小泉は上手い。これが小泉のメッセージ性の高さを支えている。小泉流は10秒でメッセージを伝える。10秒の世界に生きている。小泉純一郎は映像に強い。菅直人は討論に強い。小泉純一郎は印象で勝負する。菅直人は論理で勝負する。国会などでのふたりの討論を見ていると、分は菅直人にある、しかしテレビで放映された映像では小泉純一郎のほうが強い印象を残す。映像目線が小泉メッセージの根幹を成す。...

  • (コラム)小泉純一郎の戦略コミュニケーションの本質2:小泉流メッセージ力学の本質

    世論という「公(おおやけ)」の力のマジック 世論が政治を動かす。当たり前のことである。ところが世論を使って政治を動かすとなると話は別である。特に日本国内において世論を気にする政治家は多いが、世論を利用する政治家は稀有である。政治家のメッセージ性が世論を喚起する。その世論をテコに政治を動かす。このような事象が認識されはじめたのは小泉総理が誕生してからである。 しかし、それ以前の事象として「石原慎太郎現象」がある。石原慎太郎は1994年の東京都知事選で彗星のごとく人気No.1の政治家として登場した。「東京から日本を変える」というスローガンを掲げ、日本で最初の本格的なテレビ・メデイア選挙を展開した。その基本構図は霞ヶ関に象徴される官僚主導・中央集権体制を仮想敵と位置づけ、「Noと言える東京」をスローガンに闘うリーダー像を演出した。まだ人もまばらな朝、出馬宣言を東京都庁の建物を背景に行う等、テレビ目線を意識した選挙戦術を駆使した。その結果、東京都の世論は動く。浮動票を一挙に取り込み、終盤の追い込みで選挙に勝利する。この時から政治家のメッセージ性が注目され始めた。 小泉純一郎と石原慎太郎の共通点は「世論」をテコに勝利をものにすることである。石原慎太郎には組織票はない。自らの名声だけである。小泉純一郎も自民党では“一匹狼”として知られ、彼を支える派閥はなかった。ふたりとも「公」(Public)という存在に着目し、それが潜在させている力を世論の支持というかたちで抽出した。従来のように、組織や派閥など当事者同士を中心に物事を決めていくやり方に対して、「公」(Public)という場に相手を引きずり出し、世論の支持というカナ槌で叩く。小泉流メッセージ力学のルーツは石原慎太郎にあるのだ。 小泉純一郎は世論の力を本格的に活用した日本で最初の政治家といってよい。「公」(Public)が持つ潜在力の本質を直感的に知っており、かつそのマジックに精通した政治家として非常に珍しい存在である。自民党総裁としての6年間、彼の最大の敵は民主党ではなく、自民党の派閥力学であった。傍流であるがゆえに派閥力学を超えた新たな力によって権力闘争を闘い抜くことが必要であった。敵を「公」(Public)の場に引きずり出し、「世論」という剣で砕く、それが小泉流である。自らのメッセージ性を高め、巧みなまでに世論の支持を取り付けながら選挙での勝利のみならず、党内の政争や政局を乗り切ってきた。小泉流メッセージ力学の誕生である。 小泉流コミュニケーションはダークサイドである。  ジョージ・ルーカス製作・総指揮の「スターウォーズ」という映画がある。 全6部作のスペースオペラであるが、この作品の中で「ダースベイダー」という悪を象徴する戦士が、正義の戦士である「ジェダイ」と闘うシーンが多く出てくる。面白いのは悪の戦士である「ダースベイダー」がひとりで複数の「ジェダイ」達と戦うシーンが多いことである。「ジェダイ」の力の源は「フォース」という宇宙に遍在するエネルギーである。それはどちらかというと人間の正の感情を基としているが、これに対し「ダースベイダー」の力の源泉は、ダークサイドの「フォース」と呼ばれ、人間の負の感情に根ざしたものである。つまり、同じ「フォース」でも人間の負の感情をベースとした「フォース」のほうがエネルギー的には強いのである。だから、悪の戦士「ダースベイダー」は複数の「ジェダイ」を相手にできる。しかしながら、6部作という長編の結末は、強いはずのダークサイドの「フォース」が、正義の味方の「フォース」に敗れる。ダークサイドの「フォース」は瞬間的には強烈なエネルギーを出すが、時間をかけて力を積み上げて行く正の感情に根ざしたジェダイサイドの「フォース」の方が結果的には勝つという構図である。 コミュニケーションという「フォース」にも2つの種類がある。ひとつは、人間のもつ正の感情に訴えるやり方である。感謝する、同情する、哀れむ、尊敬するなどの感情である。もうひとつは人間のもつ負の感情に訴える方法である。憎む、羨む、妬む、怒る、恐れるなど人間がもつ「負」の側面に働きかける。 小泉純一郎のコミュニケーションの本質は、基本的には人の負の感情に対して訴えかけることである。言わばダークサイド・コミュニケーションである。負の感情を利用する方が正の感情に訴えるよりも、より強烈なメッセージが発信できる。小泉純一郎のメッセージ発信の構図には、この負の感情をかき立てる仕掛けがビルトインされている。そこにはまず、人々の怒りや妬みをぶつける対象であ“悪の存在”、“国民の敵”となるものが必要となる。その敵が巨大であればあるほど、強ければ強いほど恐怖心や怒りを煽ることができ、広く・浅く・多くの国民にアピールできる。ここでは物事を善悪、白黒という単純明快な構図で色分けすることが重要となる。二元論ですべてを斬るという構図は、国民にとって非常に分かりやすい。当然、小泉純一郎は正義の側である。そして国民に二者択一の選択を迫るのである。 仮想敵をつくることで怒りを醸成し、敵と戦うという構図を土台にメッセージ性を高めるやり方は、歴史上変革期においてよく使われてきた手法である。20世紀前半、ヒットラーが誕生してきた経緯において使われたメッセージ発信の構図等は良い例である。第一次大戦での敗北を喫したドイツでは、経済が破綻し政治は混迷を極め、生活苦の中で多くの国民が変化を強く求めていた。国民感情の底辺に流れていた変化への強い欲求を逆手に、ヒットラーはユダヤ人と共産主義を仮想敵として位置付けた。そして、その仮想敵に対する憎悪を駆り立て、ナショナリズムの高揚を通じてヒットラーは強烈なオーラのようなメッセージを発信し続けたのである。その結果、ナチス・ドイツ第三帝国誕生に向けて人々の意識と行動を大きく動かすことができた。これがヒットラーのメッセージ力学の基本構図である。 小泉流のダークサイド・コミュニケーションは、今まで多くの“国民の敵”をつくってきた。「自民党をぶっ壊す」と言って自民党を、「構造改革の本丸」と言って郵政公社を、「抵抗勢力」と言って造反議員を、さらには民主党を“国民の敵”としてレッテルを貼ってきた。靖国問題では「心の問題」と言い切って中国や韓国に対するプチ・ナショナリズムをも煽った。 ダークサイド・コミュニケーションは確かに短期間で人々の気持ちをつかむ。しかしその反面、反作用も生ずる。複雑化した現実の問題を、ある意味二元論ですっぱりと斬るため、時間の経過とともに事実関係の齟齬をきたしメッセージが劣化してしまう。また、強烈なメッセージ発信であるだけに、まわりの期待値を上げ過ぎてしまい、少しでも期待に答えられないとその反動がくる。しかも、白黒をはっきりさせるため、今まで培ってきた支持者との関係を壊すことにもなる。ダークサイド・コミュニケーションはそのメッセージ性が強烈なため、その副作用も大きい。この副作用をどうコントロールするかがこの“力”を使うための要諦である。並大抵の政治家では使いこなせない。小泉純一郎はメッセージ力学の魔術師なのである。...

  • (コラム)小泉純一郎の戦略コミュニケーションの本質1: 小泉純一郎は救世主かヒットラーか。~敗者の視点から~

    小泉純一郎と3年間戦ってきた。 民主党から総選挙への協力要請を受けたのは2003年の6月である。 戦略コミュニケーションのコンサルティングが日本の国政選挙に初めて関わった時である。「マニフェスト」選挙と呼ばれた2003年11月の衆院選、「年金」選挙であった 2004年9月の参院選、そして「郵政民営化」の是非が問われた2005年9月の衆院選と3年間立て続けに国政選挙の場で小泉純一郎のコミュニケーション力学と戦ってきた。 特に最後の2005年の総選挙は一生涯忘れ得ぬものとなった。 「郵政民営化に賛成なのか、反対なのか国民に問いたい。」この小泉総理の一言が流れを決めた。あとは怒涛の如く押し寄せてくる小泉メッセージの凄さに翻弄され、そのまま9月11日の開票日までもっていかれた。結果、2005年の総選挙で民主党は大惨敗を帰した。巨大な竜巻に呑み込まれたような感覚は今でも忘れない。コミュニケーションの修羅場は数多く掻い潜ってきたが、その力の凄さをこれほどまでに身をもって体感したのは久々であった。敗者の視点から小泉純一郎のメッセージ力学を検証することが戦略コミュニケーションの本質をとらえる上で重要と考える。 2005年9月11日、何かが動いた。  流れは民主党にあった。 民主党は民主・自由両党の合併を梃子に2003年の衆院選挙で政権選択を迫った。 マニフェストを旗印に議席の大幅増を実現、2大政党制への布石を打った。 2004年の参院選は政界が年金未納問題でゆれに揺れた。自民・公明・民主、各党の党首を直撃、民主党では菅・小沢と辞任劇が続く中、無名に近い岡田克也代表が年金問題をテーマに人々の予想を超え自民に勝利した。「政権選択」、「マニフェスト」、そして、「2大政党制」という民主党が仕掛けた標語はマスコミや有権者の間に確実に浸透していた。機は熟しつつある。いよいよ次期衆院選での政権交代の実現は目前だという認識は確かに存在した。ところが、蓋を開けてみれば、9月11日の開票結果は小泉自民党の歴史的大勝利であった。自民党は84議席増やし、296議席を確保、自公による絶対安定多数を実現した。一方、民主党は64議席を失い、113議席と2003年衆院選前の勢力に追い込まれた。翌日の各紙の見出しを拾ってみると、 「驚異“小泉魔術”民主もぶっ壊す」(東京新聞)、 「自民マジックで席巻、民主牙城で崩壊」(毎日新聞)、「小泉劇場独り舞台、岡田民主“政権後退”」(読売新聞)、「小泉劇場大当たり」(毎日新聞)、「小泉突風造反飛ばす」(産経新聞)、「主役小泉一人勝ち、夢砕け民主は脇役」(朝日新聞)など自民VS民主という構図よりも「小泉」VS「民主」といった図柄での報道が目立った。また、魔術とか、マジックとか、劇場とか小泉純一郎のメッセージ性に起因した表現が多い。 小泉というひとりの政治家が仕掛けたメッセージに世の中が大きく反応、自民党の歴史的勝利を演出したという文脈である。 小泉流メッセージ発信によって何かが動いた。それも大きく動いた。 2005年の総選挙の投票率67.5%であった。2003年の総選挙より7ポイント以上増えた。 投票率が上がれば民主党有利という神話があった。投票率があと6ポイント上がれば政権交代だということはよく言われていた。かつて投票日に雨が降れば投票率が下がるので自民党に有利だと嘯いた政治家もいた。投票率が上がることによって無党派層の票が民主に流れ込む構図である。ところがその神話が崩壊した。地殻変動が起きた。無党派という範疇では捉えきれない不特定多数のかたまりが大きく動いた。小泉現象である。 6年前にも一度、この小泉現象が起こっている。 2000年9月の自民党総裁選挙である。「永田町の変人」というイメージしかなかったマイナーな小泉純一郎が、自民党の総裁選というステージで突然、脚光を浴びたのは2000年の9月である。「自民党をぶっ壊す」と連呼、「自民党を変えて、日本を変える」というスローガンを発信し続けた。自民党の総裁選でありながら、さながら国政選挙並みにマスコミは騒ぎ立て、小泉純一郎という政治家の存在が大きく全国的にクローズアップされた。 今では政敵になってしまった田中真紀子とのおしどり遊説の報道映像は多くの国民の脳裏に今でも焼きついている。異様なまでに盛り上がった小泉人気をバックに自民党固有の派閥人事をねじ伏せた。自民党最大派閥の領袖である橋本龍太郎元首相を破り、自民党総裁に就く。小泉純一郎のメッセージ力学が従来の自民党の派閥力学を超えた瞬間である。小泉自民党総裁を誕生させたのは、それは、最早、世論などという覚めたものではない。強烈なパブリック・パーセプション(社会的思い込み)の出現である。 「山」がまた動いた  小泉劇場を構成する3つの要素がある。ステージ・映像・主役である。まずは、ステージング(Staging)の上手さが際立つ。小泉が演じるステージを小泉が設定する。 郵政民営化法案の行方が微妙に揺れ動く中、解散するか否かが様々な憶測を呼んだ。解散すれば自民党が不利であるというのが大方の見方であった。週刊誌も「自民頓死、200議席割れ!民主241議席単独政権」(週間文春)、「自民党160議席割れで民主党・岡田政権誕生」(週間ポスト)などと囃し立てた。反小泉の自民党抵抗勢力は解散などしないだろうと高をくくる。一方、いよいよ政権交代だと浮き足立つ民主党。このような構図の中で8月8日の赤いカーテンを背景に小泉総理の解散演説がおこなわれた。四面楚歌という絶体絶命の状況下の中で敢えて不利を承知で郵政民営化という自らの“信念”を説く。 “国民に問いてみたい”という名台詞を吐いて解散宣言をする。絶妙なステージングである。このステージングの上手さが流れを変えた。有利であると言われていた民主党は一転、守勢にまわされ、小泉メッセージによる波状攻撃に完膚なきまでにやられる。 ステージングの妙は“意外性”である。この“意外性”の創出が小泉メッセージ力学の真髄である。小泉総理が誕生して以来、“サプライズ”という言葉が定着した。小泉流メッセージ発信はまさにこの“サプライズ”をテコにその伝達力を強化した。 その要諦はメッセージのコントロールである。敵を騙すには先ず味方からという思考である。限られたメンバーの中での小泉総理の陣頭指揮があって初めて可能となる。 政治のワイドショー化を加速させた、小泉総理誕生  映像に対する執着では小泉純一郎の右にでる日本の政治家はいない。2005年の総選挙で小泉の演出した映像3部作は刺客騒動、堀エモン、そして郵政遊説である。この3部作によって小泉はワイドショーの放映ジャックに成功する。郵政民営化反対の自民党“造反議員”候補ひとりひとりに対立候補を立てる。この策はそれぞれの選挙区の中で、自民党地方組織の分裂・自民党不利という構図を生んだ。しかしながら、“刺客騒動”と命名されたこの策は多くの注目選挙区を生み出し、マスコミが一斉に飛びついた。とくに各局のワイドショーは連日連夜、刺客騒動で揺れる各選挙区を報道する。この“刺客騒動”は2つの効果を自民党にもたらした。ひとつは民主党の放映時間が相対的に減ったことである。テレビ局は基本的に各党に対してその議席数の大きさに関わらず、平等に選挙報道の時間配分を行う。本来であるならば自民、民主、公明、社民、共産、無所属という形でそれぞれ1/6の放映時間の配分となる。ところが、“刺客”を放たれた選挙区では自民の時間配分が実際は2/6になる。造反議員とは言っても視聴者からすれば自民であることにかわりはない。結果として民主党の時間配分が相対的に減る。ふたつ目の効果は、「郵政民営化YES or NO」という自民の選挙テーマを視聴者にすり込んだことである。“刺客騒動”中心の選挙報道がなされる中で、郵政民営化に反対なのか、賛成なのかが大きくクローズアップされ自民の土俵である「郵政民営化”YES or NO」が総選挙の主題となる。一方、郵政民営化より大事なものがあるという考えに立った民主の土俵「郵政民営化 or 年金・子育て」は吹っ飛ぶ。当時、注目キャラであった堀エモンを亀井静香候補にぶつけた判断は映像的に絶妙である。亀井議員も抵抗勢力のドンといったレッテルが貼られており、堀エモンに十分対抗できるキャラである。世代間の戦いといったニュアンスも含みながら、個性豊かな二つのキャラが激突する姿はワイドショーの格好のネタである。刺客騒動や堀エモンだけではない、小泉本人も頑張った。5年前の総裁選のときの熱気を思いだすほどの多くの人々が小泉遊説に熱狂した。演説の内容は殆どが郵政民営化である。どこの遊説のシーンを切り取っても郵政民営化である。金太郎飴である。連日連夜、小泉が郵政民営化を遊説で説く映像が視聴者にすり込まれていく。 企画・脚本・演出・主演、小泉純一郎 2005年の総選挙は小泉純一郎が企画・脚本・演出・主演をした舞台であった。 主役も演じるプロデューサーとしての小泉を支えているのは「思い込みの強さ」である。 「成りきる」強さを小泉はもっている。 強いメッセージ性の基本は一貫したメッセージを何時でも、何処でも発信し続けることができるか否かにかかっている。人はメッセージを四六時中発信している。言葉だけではない、行為そのものがメッセージを発信している。24時間、一貫したメッセージを発信することは至難の業である。ある意味24時間主役を演じなければならない。シナリオを書く、役者を決める、舞台を設定する、そして自ら演じる。小泉劇場と言われる所以である。 小泉純一郎というひとりの政治家は小泉流メッセージ力学で2005年の総選挙で何かを動かした。この“力”の本質は何であるのかを検証することがこれからの課題である。 この“力”を使える者は、その目的によっては救世主にもヒットラーにもなり得るのである。...