(コラム)戦うコミュニケーションの発想の原点、世界最古の兵書「孫子」2:戦うコミュニケーションの本質 “人間の意識を囲い込め! (前編)

「専門家による、専門家のための、専門家の」戦い 
戦争という国の存亡をかけた大事業を遂行する上で、コミュニケーションが重要な役割を持つという認識は「孫子」から始まる。「孫子」はコミュニケーションの力の活用をすべての戦略の組み立ての根底に置く。その背景を理解するには、「孫子」が生まれた時代に起こった戦争の構造変革を知る必要がある。「孫子」は中国の春秋時代末期(紀元前5世紀末)、呉の国の将軍を務めた孫武の作とする見方が強い。春秋時代の戦争は平原で展開された戦車戦が中心であった。戦車とは数頭の馬によって引かれた、御者と戦士が乗った戦闘用の車である。それらが百台、千台の数でぶつかり合うのが当時の一般的な戦争の形態であった。言うなれば「専門家による、専門家のための、専門家の」戦いであった。兵士は名誉を重んずる身分のある選ばれた戦士から成り、戦車を操る戦いの専門家たちであった。戦いもお互いが対陣の準備が整ってから開始された。相手の準備ができないうちに攻めることはご法度であった。戦いが始まれば、個々の戦士は自分の技量をフルに発揮、目の前の敵と戦うだけで、将軍からの指示も必要なく、全体戦略との連動もあまり関係がない。指揮官が捕虜になったり、敵に背を向けて敗走したりすると勝敗が決したものと判定され、それ以上は敗者を攻めない。戦いも一回の会戦の中で限定されていた。軍を率いる将軍は存在したが、専門の官職ではなく、身分の高い王侯、卿、大夫などの中から君主が随時任命、しかも軍を直接指揮するというよりは象徴的な存在であった。象徴を敵に取られたら負けといったチェスでいうキングか将棋の王将の駒のようなものであった。そこには戦いの“しきたり”があり、それを前提に玄人(くろうと)集団の中で戦いが完結されていた。人民も巻き込んだ国をあげての“何でも有り”の総力戦といった発想はなかった。

定型化した“まじめ”な戦いから不定型な“騙し”の戦いへ 
ところが紀元前585年に揚子江下流域に居住する呉人によって建国された呉がこの戦いの構造を変えた。前述したように平原での戦争は戦車戦が中心で、歩兵は補助的な役割しか担わなかった。ところが呉は蛮蝦の出身であり、当時、中国の先進地域であった黄河流域の中原文化圏からは離れたところに位置していた。そのため、戦車のような先進的な武器とはもともと無縁であった。更には揚子江下流の水沢・湖沼地帯という呉の地理的条件によって軍隊構成は戦車ではなく、その主力は歩兵部隊であった。特に、呉は中原文化圏と違い、封建制による身分制度の確立が遅れていた。そのことが幸いし、戦士を調達する場合、身分的制約に囚われずに、一般の人民から戦士を募り構成することができた。これは大規模な歩兵部隊を編成することを可能にするだけではなく、戦車のように地形の制約を受けない、歩兵という融通無碍に展開できる兵力をもつことを意味する。戦車戦のような定型化され戦いに慣れていた中原の先進諸国は、呉が繰り出す自由自在にその動きや形を変化させる歩兵部隊によって翻弄される。それまでの戦車戦を中心とした様々な“しきたり”や“ルール”が前提となっている戦いにおいては、相手を騙して誘導するとか、相手の不意をつくとか、言った発想はない。ところが、兵力が歩兵中心となると戦いの形態は様変わりする。地形の制約から自由であるだけでなく、敵から姿を隠したり、密かに敵に近づき奇襲をかけたり、今までの定型化した“まじめ”な戦いでは考えられないような“騙し”の戦いへと変貌する。

敵を欺き、味方の戦意を上げるコミュニケーションの力

戦国時代になるとこの傾向は更に強まる。戦いのポイントが個々の戦士の戦う技量から、部隊全体が一体となって敵を“騙す”動きをとり、相手の不意を衝いて勝つ戦術へとシフトする。言い換えれば、戦い全体を見据えた戦略とそれに連動した部隊の動きが勝敗を決するようになる。そうなると、今まで象徴であり、飾りのような存在であった将軍の役割が見直されてくる。部隊全体を手足のごとく自由自在に動かし、敵を欺き、勝利を確実にする司令塔としての能力が将軍に求められてきた。「孫子」ではこの新たな将軍の役割、能力、心構えなどが懇切丁寧に説かれているが、その根底にはコミュニケーションの原理・原則に従って、敵の将軍や兵士の動きを思い通りに操るという考え方がある。一方、自分の傘下の部隊構成を見ると、従来の専門戦士ではなく、人民から召集した“素人集団”である。この“素人集団”から成る部隊を強力な戦闘集団に仕立て、自由自在に動かすためのしっかりとした意識付けの作業が重要性を増してくる。1対1の戦闘では専門戦士には敵わないが、集団戦では勝てるという体制を作り上げる仕事が将軍の責務となった。「孫子」は敵以上に味方の意識のあり方に詳細な気配りをする。性悪説を前提とした人間観をベースに、兵士の意識を如何にコントロールするかに腐心している。ここでもコミュニケーションの原理・原則に則った兵士の意識の囲い込みの工夫が説かれている。このように敵を欺き、味方の戦意を上げるためにはコミュニケーションの力を駆使することが必要だという認識が高まった。