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Month: August 2016

  • 田中愼一が登壇したパネルディスカッション「世界で活躍するリーダーになるための危機管理術」のビデオが公開されました

    7月2日~3日にかけて浜松で開催されたあすか会議の第6部分科会「世界で活躍するリーダーになるための危機管理術」に田中愼一がパネリストとして参加しました。 世界のボーダレス化が加速し、グローバルを舞台にしたビジネス展開はもはや当たり前になった現在、リーダー・企業に必要不可欠なものとは何か。是非ご覧ください。 モデレーター 安渕 聖司 日本GE合同会社 代表職務執行者社長 兼 CEO 島田 久仁彦 株式会社KS International Strategies 代表取締役社長 田村 耕太郎 ミルケンインスティテュート シニアフェロー 田中 愼一 フライシュマン・ヒラード・ジャパン株式会社 代表取締役社長 世界で活躍するリーダーになるための危機管理術...

  • 無党派層が動く、小池陣営有利な事態に(後編)

    後半戦に入って小池陣営には2つの懸念事項があった。 1つは無党派層が小池支持に動くかどうか。党組織のサポートは無い。組織戦では勝てない。この弱点を無党派層の支持を取り付け封じ込めるしかない。 幸いに舛添問題の過熱報道によって既に都知事選に関する世間的な関心はかなり高い。選挙期間中もそれを引きずる。更には桜井パパへの注目、小池百合子の立候補、自民党分裂の状況、小池・増田・鳥越の三つ巴の形勢など世間の関心を引く素材に事欠かない。 結果、無党派層が動く。投票率も上がる。小池陣営有利な事態になる。 最大の懸念、野党候補は誰? ところが小池陣営が勝つ上でもう1つ懸念項目あった。 前半戦で築いた「初の女性都知事」vs「自民・自民党都連」の選択の構図を後半戦も維持できるかどうか。 自民党都連が既に「悪役」としてレッテルを貼られている中ではこの構図は小池候補にとって優位な立ち位置を担保してくれる。無党派層は既に動いている。知名度低く組織戦依存の増田候補は怖くはない。 この段階での最大の不確定要素は後半戦に入っても野党側の候補の顔が見えないことである。この意味では野党の究極の後出しジャンケンは功を奏している。 選挙後半戦は空中戦が死命する状況にある。増田陣営は元タレント議員を動員、認知度アップを謀るが知名度の差はどうしようもない。 ところが、仮にここで空中戦に強い知名度のある野党候補が出ると状況は一変する。せっかく築いた選択の構図を壊されかねない。 小池百合子に女神が微笑む。致命的に“ズレ”た野党候補 最後の最後で野党側はジャーナリスト鳥越俊太郎を候補として打ち出してきた。 知名度ということでは小池百合子に引けを取らない。出身もジャーナリストで小池候補と同類である。 この段階での鳥越候補のマイナス要素を敢えて挙げれば ① 前半・後半戦を通じて「後出しジャンケン」に対する批判報道がかなりなされていた。 ② 鳥越候補の76歳という歳の問題である。2020年のオリンピック・パラリンピックでは80歳の大台に乗る。大丈夫かという印象を与える。 ③ 鳥越候補に一本化する過程で野党側がかなりごたついた印象を残す。 しかしながら、この段階では小池vs鳥越は互角と言っていい。 鳥越陣営の最大の失敗は鳥越候補の最初の「一声」にある。その内容は致命的に“ズレ”ていた。 立候補する理由を聞かれ、開口一番「参院選で自民党が勝ったから」「このままでは日本は危ない」など連呼、掲げた政策も「安保法制反対」「脱原発」「非核」といった内容で参院選の延長線上での「発信」である。 都民感覚からすれば“ズレ”ている。正に「江戸の敵を長崎で討つ」である。しかも「脱原発」は都知事選ではメッセージとして“効かない”ことは既に前回の都知事選で細川護煕候補が実証済み。 その後、鳥越候補のメッセージ発信は“都政”よりに修正されるがもう遅い。選挙では「終わりよければ全て良し」ではない。「始めコケれば全て無し」が鉄則である。 選挙の要諦は有権者に候補者にとって有利な争点を早く思い込ませることである、アジェンダ設定をすることである。第一声は選挙コミュニケーションにおける戦略上の要である。 石原慎太郎元都知事の発言を応援歌にする小池流発信の“強かさ” 一方、後半戦では小池候補の発信の“強かさ”が目立った。先ずは全体的に「失言」が少ない。 唯一の失言は鳥越候補に対する「病み上がり」発言。また戦略コミュニケーションの技術論から見ると“ブリッジング”が身についている。 ブリッジング(bridging)とは相手の質問を利用してこちらのメッセージを発信する技である。人は質問を受けるとそれに答えようとして、知らぬ間に相手の術中にはまりボロボロにされる。 ブリッジングとは“つなぐ”という意味。質問を受けたら、答える前に自分のメッセージに“つなぐ”、そして答える。質問に答える前にワンステップ置く。そこで自分のメッセージを確認する。このワンステップを意識するだけで発信力は飛躍的に高まる。 もともとは質問を武器に相手から話を聞き出そうとするジャーナリストに対抗する上で考えられた手法である。 この手法は頭で分かっていてもなかなかできない。実践の中で培うしかない技である。小池候補の場合、ブリッジングがある程度身についており、他の候補やキャスター、記者などからの質問にあまり惑わされない。 相手の発言を利用する面でも強かな片鱗を見せる。石原元都知事が自民党都連に応援に駆けつけ「大年増の厚化粧」と小池百合子を揶揄する。小池候補はこの石原発言を街頭演説でのネタにする。 批判するのではなく、ユーモアを持って「厚化粧です」と認めた上で、透かさず男性上位の自民党都連の体質を攻める。「いつの間にか男同士の密室で会議が行われて、結論が出されて、日本が正しい方向に行っていたでしょうか?おっさんの論理でこれからも日本が突き進むのでありますか?日本はおっさんの論理でずっとやっていけば、必ず他の国にもどんどん追い越される」と。 小池百合子流「勝利の方程式」、"エアーポケット"を見つけよ! 下降気流のため飛行機が急に下降する空域をエアーポケットという。 選挙にもエアーポケットがある。そこに上手くはまると逆に上昇気流にのることができる。ところが、選挙のエアーポケット現象はいつも出現するとは限らない。幾つかの条件を満たすことが必要である。 経験上、最低でも4つの要素が整うことが重要である。 ① 先ずは有権者から見て二者択一の互角の選択構図が出来ているかどうか。今回の都知事選の場合は、民進、共産を中心とした野党共闘が実現、一様に与党(自民党・公明)vs野党(民進・共産)の二者択一の構図が出来る。どちらかの選択肢しかないと一旦有権者は思い込む。 ② そこで次に重要なのは、そのどちらの選択枝も“パッとしない”ことである。増田候補は自民党都連の全面サポートのもと今までの都政の延長線上と見られる。都政の革新には程遠い。鳥越候補は都政を国政の延長線上で考える姿勢に多くの人が違和感を持つ。都政の革新どころか混迷かと疑われる。選ぶ方からは“どっちもどっち”という状況である。 ③ 後はそこに強烈な個性と発信力を持った第三の候補の出現である。小池候補がまさにこのポストを仕留める。自民党とは程よい距離感を保ちながら独立自尊、弁が立ち大臣経験者、さらにはメルケル、クリントン、メイなど女性政治家が世界を賑わせている中で、日本でも女性都知事かという雰囲気の中で、従来の延長線上にない第三の候補者として浮かび上がってくる。 ④ 最後に、前提条件ともいえるが、空中戦が選挙の死命を制する状況にあること。空中戦無くしてエアーポケット現象は起こらない。二者択一の選択肢に辟易しているところに第三の道があるという思い込みを有権者の中に早く広く生じさせる戦略兵器はテレビなどのマスコミやネットによる空中戦である。 ここでは組織戦は無力である。この意味で「先出しジャンケン」で選挙前半において空中戦を主戦場に設定した小池陣営の動きは当たっていた。もともと「後出しジャンケン」も同じメカニズムで有権者が辟易したところに新たな第三の候補者を最後に出す方式であるが、その際に重要なのは候補者の選定である。しっかりとこのエアーポケット現象で浮揚できる素質を持った候補者を選ぶことである。 今回の都知事選は小池百合子候補者が戦略的か偶然かはわからないが、結果としてこのエアーポケットに上手く“どんぴしゃり”と便乗出来たことでが大きな勝因である。...

  • 都知事選、小池百合子流「勝ちの方程式」(前編)

    小池、増田、鳥越と三つ巴の都知事選は小池候補圧勝で決まった。 小池陣営の戦略や意図がどのようなものであったのかはわからないが、戦略コミュニケーションの発想から見ると、そこには勝つべくして勝った構造が見えてくる。 舛添問題で都民が見た都政の風景とは 舛添知事辞任に至るまでの一連の流れは危機管理コミュニケーションの視座からも興味深い。 記者会見をやる毎に炎上する。1回目のクライシス会見で墓穴を掘り炎上することはよくある。普通は学習効果によって2回目以降やり方を正す。しかしながら、6回行われた舛添会見の場合は回を重ねる毎に炎上する。所謂「墓穴を掘りまくる」。 最後の最後まで往生際が悪い。有事には有事のコミュニケーションの原理原則がある。舛添流有事対応は全くそれに逆行する。 更に事態は知事の問題だけにとどまらない。共産党を始めとする野党都議による舛添下ろしが盛り上がる中で与党側の動きが鈍い。これが結果として舛添知事と与党都議は一蓮托生という印象を都民に与える。 加えて、同じ時期に東京オリンピック開催に伴う費用が予算を大幅に上回る事態が連日報道される。その中で野党も含む都議団がリオ・オリンピックへ豪華な視察団を派遣することが露呈する。都民の関心は舛添知事の金の問題にとどまらず、都議会も巻き込む都政全体への不信へと広がる。 今回の都知事選は、「都政への不信」という風景の中で、都民に対してどのような選択の構図を見せられるか、そこで最も映える候補を立てられるかを探る戦いである。 与党側動く。行政のプロを模索、「政治家」vs「行政のプロ」の選択の構図を狙う 先ず動いたのは自民・公明の与党である。前回都知事選で舛添支持をしただけにその動きは速かった。「都政への不信」=「今までの延長線上の候補ではダメ」という都民感情を捉え、政治家ではない行政のプロの候補擁立に舵を切る。 そこで目をつけたのがジャニーズ嵐の桜井翔の父親である桜井総務省事務次官。地方自治体を管掌する総務省の行政プロナンバーワンである。若手世代へのアピールや桜井翔の知名度を利用した空中戦の展開なども可能だ。 野党側の候補に政治家の名前がいろいろと音沙汰されるのを横目に「政治家」VS「行政のプロ」という構図の作り込みに走る。この段階では自公与党側は一歩リードする。ところが、ここで2つの誤算と想定外が生じる。 桜井氏が辞退する。更には、自民党の意に反して小池百合子自民党議員が立候補を打ち上げる。 小池候補「初の女性都知事」VS「自民・自民党都連」の選択の構図をつくる 選挙で勝利する基本は有権者に対する選択の構図を相手に先駆けてつくれるかどうかだ。 小池陣営は“先出しジャンケン”で与党側がつくろうと腐心する「政治家」VS「行政のプロ」の構図を崩す。 立候補する旨を早々に打ち出し、推薦を求め自民・自民党都連を追い込む。怒りで困惑する自民党都連を尻目に自民からの推薦拒否に乗じて「個人」vs「党」という構図をつくった。 この段階で都知事選挙の“建て付け”が変わる。 それまでは自民・公明vs民進・共産の「党」vs「党」の二極対立になっていた形勢に「個人」が参戦する三つ巴の形になる。その中から「個人」の土俵に立った小池候補が精彩を放ち始める。 参院選の延長線、党利党略の主戦場と化している都知事選は批判の対象になっており、それが小池陣営の追い風となる。一方、野党側の動きは混沌とし、その存在感が無い。自ずと「小池百合子」vs「自民党都連」の構図が浮き出てくる。 おまけに自民都連がますます“悪人面”になってくる。報道される自民都連の議員はほとんど「男性」。しかも石原自民都連会長、内田自民都連幹事長など「悪役」を演じる名優が揃っている。 巨大与党組織に1人毅然と立ち向かうジャンヌ・ダルク小池百合子というドラマが展開される。 外からも風が吹く。イギリスではテリーザ・メイ女性首相誕生、アメリカではヒラリー・クリントン大統領候補の連日の報道など小池候補にとってはこれも追い風になる。 更に重要なのが、与党、野党の正式候補が決まらない中、小池候補の武器である知名度を最大限活用する。マスコミ報道を囲い込み空中戦一人舞台を演じる。まさに“先出しジャンケン”の妙である。 前半戦で小池陣営は空中戦に措いてかなり優位な立ち位置を築くことに成功する。空中戦が効く無党派層が動けば小池優位という状況を作り出した。 (後編に続く)...

  • そもそも「コミュニケーション」の訳語はあるのか?

    福澤諭吉はコミュニケーションを「人間交際」と訳していた! 「コミュニケーション」という言葉は日頃あまり意識せず使われている。「コミュニケーションとは何か?」と聞かれると一瞬言葉に詰まる。 そこでカタカナ表記でない「コミュニケーション」の日本語訳はあるのかと調べてみた。その結果、「人間交際」という言葉が出てきた。「経済」「社会」「競争」「自由」「演説」など従来、日本にはなかった多くの概念を漢字で造語してきた福澤諭吉が「コミュニケーション」を「人間交際」と訳していた。 「経済」「社会」など福澤の名訳の殆どが2文字であるのに対して「人間交際」は4文字。それが理由でウケが悪かったのか、後世には残らなかった。これは日本にとって残念なことである。コミュニケーションという概念を日本人なりに消化吸収する機を逸した。 外来語が表意文字の漢字で翻訳されるか、表音文字のカタカナで表現されるかは、その外来語の意味を理解する上で大きな分かれ目になる。やはり日本人の思考回路は表意文字である漢字に根ざしている。カタカナだとなかなかその意味を明確にイメージできない。 コミュニケーションという言葉は日常頻繁に使われているが、漠然とした理解の領域を出ておらず、何かあるとそれはコミュニケーションの問題だと安易にまとめる。コミュニケーションの漢字訳がなかったことは日本人のコミュニケーションに対する意識を低めたということでは致命的であった。 コミュニケーション=「人間交際」、近代社会を生き抜くための武器 そこで、福澤諭吉がせっかくコミュニケーションを「人間交際」と訳してくれたので、彼がどうゆう意味を込めてこの造語を考え出したのか紐解く。 福澤諭吉がコミュニケーションを「人間交際」と訳した背景には、その概念が近代化を進める日本にとって大変重要な意味を持つと考えたからである。福澤は近代民主社会を成り立たせているのは社会を構成する人と人との関係性にあると考える。日本初のベストセラーになった福澤諭吉の「学問のすすめ」は「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という冒頭文から始まる。 先ずは人と人との関係性に注目する。この冒頭文は今でこそ違和感なく読み流してしまうが、まだ封建制を色濃く含んだ当時の日本人の意識からは青天の霹靂である。封建制は身分で人と人との関係性を世襲にする。生まれた身分によって周りとの関係性が固定化される。正に「人の上に人を造り、人の下に人を造る」社会であった。「身分」とは「職業」と言い換えても良い。封建制では職業を選択できない。しかも、移動の自由がなく、現代から見ると1人の人間が一生に出会う相手の数は極端に限られていた。 ところが、幕末から明治へと時代が変わる中で身分制は消滅、移動の自由とともに職業選択の自由が訪れる。 1人の人間が一生に出会う相手の数が飛躍的に増える。出会う数だけではない、出会いの質も多様になる。選んだ職業によっては全く異なる価値観、考え方、素性を持った相手と仕事をせざるを得ない状況になる。そうなると、封建制では周りとの関係性が与えられていたのが、今度は自らの責任で職業を選び、その中で相手との関係性を造ることが求められるようになってきた。これはある意味で多くの人々にとっては苦痛なことであった。 新たな職業に着くには知識やスキルを習得する必要に迫られる。また知識やスキルがあっても、氏素性の全く異なる相手と上手くやっていかなければならない。相手からの信頼を得ながら、いかに自らの立ち位置を築くかに腐心することを強いられる。 見方を変えるとこれは職業選択の自由を得るための代償であり、近代社会において個人が受け入れなくてはならないコード(code:行動規範)とも言える。福澤諭吉は近代社会を成り立たせている基本は“個人”であると達観する。個人が自由に様々な職業につき、そこでスキルや知識を培い、“関係する相手”とつながりを持ち、しっかりとその立ち位置をつくる。これが"独立自尊の精神"の気風を醸成し近代社会の礎となる。 更にここでいう“関係する相手”とは家族であり、利害関係者(ステークホルダー)であり、社会(世論)である。近代を生き抜くためには個人は実学(スキル、技術、知識)と「人間交際」という武器を手に自らの人生を切り開く。これが福澤のメッセージである。 「学問のすすめ」は立ち位置の力学を説いた日本初のHow to本 福澤諭吉の代表作「学問のすすめ」は、このような状況の中で生まれる。その骨子は趣味的教養だけを高める従来の学問を否定、実際に世の中に役立つ「実学」を会得、そして「人間交際」をテコに個人の立ち位置をつくることである。 福澤の真骨頂は独立自尊の気風を持って個人がしっかりとした立ち位置で社会や国家と向き合う。これが近代社会を成り立たせているメカニズムと看破する。 この本は当時としては飛ぶように売れ、日本最初のベストセラーとなる。いかに多くの人々が自分の立ち位置をつくることに腐心、悩んでいたかが分かる。「学問のすすめ」はまさに立ち位置の力学を説いた書である。 「人間交際」=「コミュニケーション」は近代社会で独立自尊を実現する武器である。 福澤諭吉が創設した慶應義塾のシンボルマークは2つのペンが交差したデザインである。「ペンには剣に勝る力あり」を象徴するマークである。それはあたかも剣ではなく「人間交際」というコミュニケーションを武器に個々人がその立ち位置をつくる。それ通じて日本の近代を創り上げていくという意気込みを示しているように思える。 「学問のすすめ」は古典にもかかわらず、多くの人がその注釈書を書いている。やはり、そこには長い年月を生き延びてきた古典特有の強かさがある。違った角度で読み返すとそこから新たな発想が生まれ出てくる強かさである。 今一度、手にとってコミュニケーションの視点から「学問のすすめ」を一読するのも「コミュニケーション」の輪郭をよりクリアにする事始めになる。...