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「イスラム国」のコミュニケーション力学から何を読み取る

サイバー戦争の幕開け

イスラム国が21人のキリスト教エジプト人殺害映像を流す。ISISの発信する内容がますます過激化している。米国もサイバー部隊の強化に乗り出す。更にはハッカー集団アノニマスがイスラム国に宣戦布告するなどさながらインターネット戦争の様相を呈し始めた。軍事力がなくてもインターネットで大国と戦える時代の到来を予感させる。ISISの発信技術も高度化してきている。ネット上では有志連合に負けていない。軍事戦力に替わりサイバー戦力が主役に、戦争の形態が大きく変わろうとしている。まさにサイバー戦争の幕開けである。
サイバー戦争の特徴は、戦場が世界のどこからでも見えることである。軍事衝突は本来密室的な空間で行われる。ジャーナリストが前線に出て取材するも、実際は戦場で起きていることのほんの一部しか報道できない。ところがサイバー空間は誰でもが見える、世界がその一部始終を目撃する。そこにネット世界の特徴である遠心力と求心力のダイナミズムが働き出す。遠心力とは加速度的に増幅する情報浸透の広がりであり、求心力とはその広がりの中で渦のごとく発生する思い込みの連鎖のつながりである。多くの外国人がイスラム国の活動に参加する動きは今だ衰えない。一方、ヨルダン兵士の殺害によってヨルダン国内のISISに対する怒りが爆発、イスラム国への空爆は再開される。フランスではイスラム系の複数の男女が風刺漫画家を殺害、その反動でフランス国内だけでなく、世界各地で報道の自由を掲げデモが起こる。安部総理の中東訪問を機に日本人人質事件が起こり、その訪問のタイミングに対する是非が問われる中でテロへの不安が日本中に蔓延する。これらの事象の背後にはサイバーの戦場で発信された様々なコンテンツが大小多様な思い込みを同時多発的に発生させ、それらが錯綜し、つながりながら現実世界を動かしている。その思い込みのつながりの大きなものが世界世論とも言い換えることもできる。

思い込みを操作する

サイバー戦争とは思い込みを操作することによって目的実現をくわだてる戦いと呼べる。その本質は軍事力を除いたという意味でより純化されたコミュニケーション戦争である。この戦場ではメッセージという武器を使って「思い込み」を相手につくり相手を動かす。メッセージを撃ち込むことで相手を誘導する、牽制する、共感させる、歓喜させる、恐怖のどん底に突き落とす。イスラム国は有志連合に対する軍事面での劣勢をコミュニケーション力でカバーするという強かな発想を持っている。コミュニケーションの戦いは従来、世論支持の取り合い合戦である。外交戦では、世界世論の獲得である。委任状争奪戦では一般個人株主世論の奪取である。敵対的M&A戦ではより広いステークホルダー世論の囲い込みである。選挙戦では有権者世論の確保である。ところがISISの場合、その狙いは世界世論の獲得ではさらさらない。逆に世界の恐怖感を煽る、有志連合という世界世論を代表する巨大な敵と聖戦をしているという構図をつくり、その思い込みを世界のイスラム過激派の中に植え付けることである。ターゲットは明確である。イスラム過激派とその予備軍である。現にナイジェリアのテロ集団ボコハラムなどのイスラム過激派があちらこちらで気勢を揚げ始めている。その戦いの構造の基本は弱者の強者への戦いである。よって劣勢の軍事力を補うためにサイバー戦力を巧みに使いこなす。
これは世論獲得を狙いとした従来のコミュニケーション戦とは違う新たな方向性である。世論という「マクロ」を狙うのではなく、小集団でも過激性のある特定の相手という「ミクロ」を狙う手法である。

コミュニケーション武装という考え方

イスラム国はテロ集団の「新種」である。その特徴はサイバー戦力を支える強かなコミュニケーション戦略である。「見えないテロ集団」であるアルカイダではサイバー戦力を効果的に使いこなせない。コンテンツを作り出すだけの力がない。地上戦でも空中戦でも見えるからイスラム国は効果的なサイバー戦を戦える。サイバー戦争はある意味、公開討論会のような全てが見える場での戦いである。その公の場での戦いを左右するのがコミュニケーション力の巧拙である。
物理的な力の行使である軍事力の実効性が相対的に弱まっている。
本格的な軍事力の行使には様々な抑止力が働く。有志連合が本格的に地上戦を仕掛けられないのがその一例である。その中で軍事力や経済力など従来の力学に加え相手を動かすコミュニケーション力があらゆる領域での「戦い」において重要になってくる。今やテロでさえもこのコミュニケーションの力学を使う時代である。
企業もその「戦場」は多様化している。従来の「市場」という戦場に加え、訴訟社会の進展によって「裁判所」での攻防もある。しかしながら、これから最も企業を脅かしてくる戦場は「世間」という戦場である。ここでは全てが公の場での戦いとなる。市場や裁判所では何を発信するべきかの判断基準は比較的に明確である。市場原理という基準が企業の事業発信を導く、法律が企業の訴訟発信を司る、ところが世間では多様な受け皿を持つ”相手”が手ぐすね引いて待っている。しかも受け皿が違うと全く違ったメッセージが伝わる、しかも発信したものは99%誤解されるか、曲解されるかである。誤解は溶けるが曲解は達が悪い。ISISに幾ら人道支援だと言っても相手は確信犯である。曲解し続け意味がない。「何を言うか」よりも「何が伝わるか」の世界である。伝わったものが大小さまざまなな思い込みをつくり、企業に襲いかかってくる。企業側も受け身ではいられない、逆に思い込みを相手につくる攻めに転じざるを得ない状況になる。コミュニケーション戦争である、コミュニケーション力の巧拙が問われてくる。
これから国も、企業も、個人も、自らをコミュニケーション武装することが求められてくる。コミュニケーション戦争における攻防力を身につけることがそれぞれの分野で確固たる立ち位置をつくる要となる。
戦略や目的実現にコミュニケーション力学を使いこなすという戦略コミュニケーションの発想を磨く時代になった。