(コラム)小泉純一郎の戦略コミュニケーションの本質4:小泉的 vs 小沢的、どっちの料理ショー
小泉的コミュニケーションと両極をなすのが、小沢的コミュニケーションである。選挙用語で地上戦と空中戦という表現がある。地上戦とは候補者が選挙区を足でまわり、なるべく多くの有権者に直接訴える選挙戦術である。“どぶ板選挙”とも言われている。片や空中戦はテレビCM、新聞広告、ポスター、TV番組出演、ウェブ戦略などいろいろな媒体を通じて間接的に有権者に訴えていく選挙戦術である。地上戦が“顔の見える”個々の有権者へのメッセージ発信に対して、空中戦は“顔の見えない”不特定多数の人々へのメッセージ発信である。選挙ではこの地上戦と空中戦の有機的な結びつきが死命を制する。
“顔が見える”のと“顔が見えない”のとではコミュニケーションの原理原則がまったく変わって来る。敢えて、小沢的が地上戦型コミュニケーションであるとすれば、小泉的は空中戦型コミュニケーションである。その端的な例は2006年の千葉補選である。2005年の総選挙での勝利の余勢を駆って自民党陣営は小泉総理はもちろんのこと、話題のポスト小泉候補の御歴々や小泉チルドレンの面々が大挙選挙区に投入された。その基本的なアプローチは個別に訪問するというよりも、選挙区の不特定多数に訴えるやり方であった。当然、人通りのある場所での、テレビ・カメラ目線を十分に意識した遊説やパフォーマンスなどの演出が満載であった。自民党の基本戦略は変わらない。小泉自民党が2005年の総選挙でとった空中戦重視の戦略の延長線上である。当初は自民勝利という見通しが強まる中、メール事件で混迷を極めていた民主党の新代表として小沢一郎が就任する。状況は一変した。マスコミは前回の総選挙で小泉マジックに載せられたという反動から、民主党の方に焦点を移しつつあった。マスコミの変化を考えるならば、民主党も空中戦を展開する土壌の上に立っていた。ところが、小沢一郎の動きは反対に地上戦に向かった。人通りのある場所のみならず、個別の地域に入り込み、リンゴ箱の上での遊説、地域のキーパーソンへの個別訪問などまさに“どぶ板選挙”を地で行く。結果は僅差で民主党の勝利であった。空中戦の小泉に地上戦の小沢が勝った。
小沢的コミュニケーションは“顔が見える”だけに個々の相手の立場や心情をひとつひとつ摘んでいく“気配り”が出発点になる。地上戦だからと言ってむやみやたらと人に会って握手をすればよいと言うことではない。選挙区の中で人のつながりの連結部分にあるキーパーソンを見つけ、相手の気持ちをストレートに掴んでいく。そのキーパーソンがメッセージの“語り部”となって増幅器の役割を果し、支持の連鎖が広がる。そのキーパーソンにどれだけ強烈なメッセージをおとせるかがメッセージの増幅度合い、支持連鎖の広がりとスピードを決める。その鍵は様々な相手の立場に対して、こちらの視点をどれだけ流動化できるかである。別の言い方をすれば、多様な立場の違いをどれだけ柔軟に呑み込めるか。どれだけ相手の視点に立てメッセージを発信できるかが勝負を決める。Market-Inの発想である。小泉的ははじめから“顔の見えない”不特定多数を相手にする。いちいち一人ひとりの有権者の立場や心情を鑑みることはできない。メッセージの決め撃ちが必要となる。また不特定多数を相手にするため、マスメデイアが有権者との間に介在する。マスメデイアがいったんメッセージの受け皿になる。マスメデイアという中継点を通ってメッセージが有権者に運ばれる。マスメデイアの視点によってはメッセージが勝手に歪曲されるリスクを孕んでいる。それだけにメッセージはできるだけ解釈の余地を与えないシンプルで簡潔なものが求められる。小泉的コミュニケーション力がオセロであれば、小沢的コミュニケーション力は詰め将棋である。オセロは一瞬にして白黒のどちらかに勝負がつく。詰め将棋は一つ一つの積み重ねが勝負を決める。小沢的は局地戦につよい。小泉的は総力戦に強い。小沢的は直接相手の気持ちに飛び込むだけにメッセージは外さない。小泉的はマスメデイアというテコを使うため、メッセージを外すリスクが高い。
いずれにせよ、小泉的がいいのか、小沢的がいいのかといった問題ではない。バランスの問題である。小泉的へ傾けば一挙に勝負を決められるが、外したときは完敗である。
小沢的を重視すれば、局地戦はモノにできるが、天下取りに時間がかかる。
天下統一を織田信長流でいくか、武田信玄流でいくかの問題である。
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