(コラム)戦うコミュニケーションの発想の原点、世界最古の兵書「孫子」6:計篇(その三)

「孫子」の戦略コミュニケーションの真骨頂、事象の変化を意識変化のレベルで捉える! 
「孫子」は「天と地」、すなわち時間的変化と空間的変化という2つの視点から事象変化を分析する。「」という表現を使って時間軸から変化を捉え、タイミングを謀ることを強調する。また「孫子」は「」という表現を使って空間軸から変化を捉え、ポジショニングを謀ることを重視する。このタイミングとポジショニングを重視する姿勢の根底には、あらゆる事象の変化は人の意識に大きく影響するという基本的な考え方がある。周囲の事象変化が人の意識にどのような変化をもたらすかを計算し、タイミングとそのポジショニングを謀る。目に見える事象のレベルでのみ捉えるのでなく、目に見えない人の意識のレベルから変化を捉える発想こそ「孫子」の戦略コミュニケーションの真骨頂である。

選挙戦略の鍵、有権者の意識の変化を先取りする!

コミュニケーション戦争と言われる選挙という“事業”においても、有権者の意識の変化を十分把握することが求められる。特に二大政党制的な枠組みにおいては、どちらの党が有権者の潜在的意識の変化を先取りできるかが勝利の是非を握る。潜在的な意識の変化とは潜在的なニーズの変化と言い換えても良い。潜在的ニーズの変化とはまだ有権者自身が意識していないニーズの変化である。有権者の潜在的ニーズの変化が“民意”である。この“民意”を先取りし、その“民意”が求めるビジョンと政策を打ち出すのが政党の役割であり、その“民意”の先取りを競争させるのが二大政党制の効用である。日本ではまだ二大政党制の枠組みができたのが民主党と自由党が合併し、政権選択選挙と位置づけた2003年の総選挙以降で、歴史がまだ浅い。二大政党制の大先輩であるアメリカやイギリスと比べると“民意”を先取りするための調査方法も不十分であり、努力不足が目立つ。アメリカでは、この“民意”を先取りするために、民主党と共和党はしのぎを削る。有権者の意識の変化を先取りする最も大きな目的は選挙戦を戦うための“土俵”設定である。そのために日本の政党が調査にかける費用の何十倍もの規模の有権者意識調査をアメリカでは実施する。この“土俵”のことをバトル・フィールド(Battle Field、戦場)と表現する。選挙戦においては、戦う“戦場”を何処に設定するか、しかも相手より先に設定することが選挙の勝敗を決定すると言っても過言ではない。

今回のアメリカ大統領選においてもオバマが圧勝した大きな理由のひとつは的確な“土俵”を先に設定したことによる。オバマの場合、その“土俵”とは“アメリカはひとつ”(United)、“変革”(Change)、そして”希望”(Hope, Yes, We Can Do)の三点盛から成る。オバマの土俵設定の特徴は、まず未来視点(希望:Hope)から現在を見る。そして現在何をしなければならないかを明確にする(変革:Change)。最後に国民に対して覚悟を催す(アメリカはひとつになる覚悟)。オバマの設定した“土俵”は選挙キャンペーン中、変わることはなく、すべてのメッセージがこの“土俵”から発信された。一方のマケインはオバマの“土俵”に対抗できるだけの土俵設定ができなかった。選挙キャンペーン開始当初から、マケインは“自分はブッシュとは違う”ということを主張続けざるを得なかった。また、経験が未知数であるオバマに対しては“自らの豊富な経験”をアピールするだけで、これと言った決め手に欠けた。オバマの“土俵”設定の凄さは、彼の3大弱点である無名、黒人、未経験を逆手に取り、それらを強みに変えたことである。そのためには未来視点から現在を意味づけることが必要になる。過去視点に立った“経験”とか“実績”というものを無力化する土俵設定が求められる。過去の延長線上では“Changeできない”という論法を敷くことになる。こうなると過去の実績や経験をもったマケインの立ち位置は弱体化する。マケインがブッシュ共和党とは違うと躍起になれば成る程、国民はマケインの“後ろめたさ”を感じる。オバマに対して経験でマケインが勝負すればする程に、国民はマケインを過去の人と見る。国民に対して、未知数は多いが未来視点に立ったオバマを選ぶか、経験・実績はあるが過去視点に立ったマケインを選ぶか、の二者択一の構図に追い込んだことがオバマの勝利を呼び込んだ。

日本の政党は、従来からどの党に投票するかと言った投票行動調査は実施しているが、有権者の潜在的な意識の変化を先取りするような調査は行ってこなかった。結果として選挙戦を戦う上での“土俵”設定はかなりいい加減で、科学的な論拠が乏しかった。国民の意識の変化を調べる調査を初めて試みたのが民主党である。2003年の衆院選において、国政選挙に初めて価値観分析に基づいた有権者意識調査を実施した。日本では従来、属性分析を中心の意識調査が行われてきた。その背景は日本が属性(外見から分かる特徴、例えば男性と女性、年代、サラリーマンと自営業、所得水準などなど)と価値観が比較的一対一の対応関係にあったことがあげられる。年齢別、性別、職業別によってひとつの価値観が共有化されていた。ところが価値観の多様化によって、この属性と価値観の一対一の対応関係が近年とみに崩れてきた。同じ世代間でも、性別間でも、職業間でも異なる価値観をもつ人々が増えてきた。もはや日本においては属性でクラスター分けしてもあまり意味を成さなくなってきた。属性でなく価値観で有権者をクラスター分けすることが必要となってきた。アメリカの選挙戦では、この価値観分析が主流である。価値観で相手をグループ化していくことによって属性分析では“見えない”国民の意識の変化が可視化できる。

この見えない人の意識の変化を可視化、分析することによってどのような“土俵”設定が有効かということが浮かび上がってくる。