戦略コミュニケーションの発想の原点:人類最古の兵法書「孫子」(2)

ホンダ、3方面から攻められる

“敵”は3つの方面からホンダを攻めてきた。当時、自動車通商摩擦が激化する中で、日本政府(通産省)は自主的に日本からアメリカへの自動車輸出を規制(当初年間168万台)していた。“敵”のまず第一の攻めは、この数量枠をさらに引き下げることである。トヨタ、日産が、自主規制の撤廃を主張したのに対してホンダは現状維持を唱えた。

理由は簡単である。トヨタ、日産は日本に生産余剰能力を持っている。規制が撤廃されれば、より多くの台数をアメリカに輸出することができる。一方、ホンダは日本に生産余剰能力をまったく持っていない。これからアメリカで現地生産することによってしかアメリカ市場への供給は増やせない。自主規制枠を維持することによって、本当の競合相手であるトヨタ、日産にアメリカ市場で先んじることができる。

実際、ホンダは自主規制が維持される中で、他社よりも現地生産を増大することによって日本車でNo1の位置をアメリカ市場で獲得する。しかしながら、このホンダの立ち位置の違いが、ホンダを日本勢の中でも孤立化させる。“敵”の第二の攻めは、現地部品調達法案(通称:ローカル・コンテント法案)を議会で通し、日本の自動車メーカーがアメリカで現地生産する車を“輸入車”として認定、自主規制枠の中に含めるという戦略である。

例えば、日本メーカーがアメリカで生産する車が75%以上アメリカ製の部品を使っていなければアメリカ製(Made in US)とは認めないと言った法案である。一番、現地生産体制が進んでいたホンダでも、一挙に部品の現地調達率を75%以上に引き上げることは不可能である。“敵”はそこを狙って攻めてきた。

“敵”の第三の攻めは、日本自動車メーカーの現地工場の労働組合(UAW)による組織化である。ビッグ3の工場はすべてUAWによって組織化されている。当時の自動車労働組合(UAW)の平均賃金はアメリカの平均賃金よりも群を抜いて高かった。これがビッグ3の高コスト体質のひとつの原因であった。さらに、組合化されると製造工程全体が何百もの工程や職種に細分化され、それぞれに異なる賃金が設定されていた。これにより工程・職種間の自由な移動は妨げられ、生産性と品質レベルを損なっていた。日本的な生産方式とはまったく相容れないものであった。

このように“敵”(ビッグ3、全米自動車労組)は
1.自主規制数量枠の縮小、
2.現地調達法案の成立、
3.現地工場の組合化
という3方面からの攻撃を仕掛けてきた。その矢面に立たされたのがホンダであった。

このような戦況の中、ホンダの戦略は明確である。
1.自主規制数量枠の維持、
2.現地調達法案の廃案、
3.アメリカのホンダ・オハイオ工場組合化の阻止、
である。

ある意味、アメリカでのホンダの存亡をかけた“戦い”といっても過言ではない。当時はあまり表沙汰にはなっていなかったが、ホンダのオハイオ工場が組合化された場合、ホンダはアメリカでの生産活動からの撤退を余儀なくされる可能性は十分あった。(つづく)

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