(書評) 学問のすすめ 福沢 諭吉

福沢諭吉に見る戦略コミュニケーションの発想!
「学問のすすめ」は“戦略的関係性”構築のすすめ

「学問のすすめ」は近代社会の中で個人がどのような“立ち位置”を築き、周囲と戦略的な関係性を構築するかを説いた、日本で初めての“個人ブランデイング”の指南書である。

明治という時代は個人にとって関係性を模索する時代であった。個人を取り巻く様々な社会との関係性を規定していた身分制度という封建社会の枠が崩れ、個人が自ら積極的に社会とのかかわり方を築いていくことが求められていた。

今様で表現するならば、「職業選択の自由」になったということである。これは結構、大変なことである。職業が変わるごとにステークホルダー(利害関係者)が変わる。その都度、その関係性を構築していくことがもとめられる。

また、今まで存在していなかった“近代国家”という新たな社会統治の仕掛けに対してどう一人の個人として処していくのかが大きく問われていた時代であった。「個人」を自覚するという意味合いでは、まさに「文明開化」ではあったが、それは決して個人にとって楽な時代ではなかった。夏目漱石流に表現すれば“神経衰弱”の時代であった。その多くの“悩める”個人に対して勇気を与え、関係性再構築の激動の時代をどう生き抜くかを指南した啓発の書が福沢諭吉の「学問のすすめ」である。「学問のすすめ」は明治5年その第一編が出版され、その後明治9年までに合わせて十七編が世に紹介された。当時、160人に一人はこの「学問のすすめ」を読んだと言われるほど「古来稀有」の大ベストセラーであった。その論旨は個人が「実学」の実践を通じて「独立自尊」の精神を培い、社会の中での自分の立ち位置を確立する、つまり有意な関係性を周囲と築いていくことによって自立して生きて行くことの重要性を説いたものである。現代風に表現するならば、「“戦略的関係性”構築のすすめ」なのである。

われわれが生きる平成の時代も関係性再構築の激動の中にある。
戦後60年を支えてきた様々な制度が崩れてきている。その大きな制度のひとつが終身雇用制である。

かつては終身雇用制を前提として個人は企業組織に参画した。
自分も昭和53年に本田技研工業という自動車会社に入社した。当時はこの会社で現役時代を終えると本当に思い込んでいた。年功序列というしきたりの中で順々に歳と経験を積み重ねながら大きな仕事を任されていく。生活もそれに従い豊かになっていく。企業人としての自分の将来のシナリオが描けた。ある意味、描けたというよりも、与えられていたといったほうが適切かもしれない。あたかも江戸時代という封建社会の中で士農工商という身分制度によって個人の将来の生き方が与えられていたかのように。企業社会だけではない。日本社会のさまざまなところで多くの個人が将来シナリオを描ききれずに悩んでいる。フリーターやニート現象は将来の生きる道筋を描きにくい時代になったことのひとつの象徴である。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」福沢諭吉の「学問のすすめ」の有名な冒頭の一節である。
この一節は単に人間すべて平等ということだけを謳っている訳ではない。「文明開化」という近代化を支える仕組みを「関係性」の視点から言及したものである。福沢諭吉の生きた明治維新とは日本が近代化という社会的パラダイムシフトに直面した時代である。
その中で個人がどのようにステークホルダー(利害関係者)との関係を再構築していくのか、新たに生まれた国家とどのように関わりを持てば良いのか、福沢諭吉は「関係性」という尺度から近代日本の本質を洞察した明治人のひとりである。夏目漱石がこの近代社会の「関係性」のあり方を神経衰弱の元凶であり、煩わしいものとして考えたのに対して、福沢諭吉はより積極的な視点から捉えた。

「文明開化」という社会的なパラダイムシフトの中、個人は社会の中で自分の立ち位置を確立することによって大きくその才能を開花させることができると主張、個人の才能開花あっての文明開化であることを説く。その鍵は「実学」の実践と「独立自尊」の精神の醸成であると主張した。

これからは個人も企業も戦略コミュニケーションの発想によって、自分の“道”を切り開くことが強く求められてくる。あらゆる利害関係者との間に戦略的な関係性を構築、それらをテコに目的実現をはかっていく時代である。その鍵は自分の“立ち位置”(ポジショニング)にある。あらゆる相手に対して、明確に自分の“立ち位置”をつくれるかである。
“立ち位置”が相手を動かし、関係性をつくる。相手視点に立って俺はここで貢献できる”という「実力(じつりき)」と「意志」が必要となる。福沢流に言えば、「実学」の実践と「独立自尊」の精神の醸成である。「学問のすすめ」は戦略コミュニケーションの視点から読み解くことによって、現代的な意味が明確になってくる。