日本のコミュニケーションを“強くする”秘密とは(2)

(1)はこちらを参照)

松本健一氏は欧米を「石の文明」と表現、日本の「泥の文明」と対比する。「石の文明」の特質は、“外”へ拡大するベクトルを持っていることである。それに対して、「泥の文明」は、松本氏曰く、“定住”型で、“内”にベクトルを持っている。
「石の文明」である欧米は、拡大するベクトルをもっているため、絶えず形として可視化された“Product”を多く生み出し、それらを引っさげて拡大していく。一方、日本のような「泥の文明」では、形として可視化された“Product”はあまり生み出されないが、形としては可視化されない“Process”を生み出し、“内”に向けてそれを醸成していく。
「石の文明」である欧米は“Product Innovation”、「泥の文明」である日本は”Process Innovation”とそれぞれの“強み”をもっている。

松本氏の話で面白かったのは、「泥の文明」は“定住型”であり、目に見えない”Process Innovation”が得意であるというポイントである。日本の場合、「泥の文明」というだけでなく、周りを海に囲まれているので、“定住”せざるを得ない。この“定住型”であることが、どうも日本が“融合するチカラ”に秀でていることと関係があるように直感した。

アメリカに住んでいたときに、「なぜアメリカの大都市はスラム化するのか」ということをよく思っていた。80年代後半デトロイトに住んでいた。今でも、デトロイトという都市は、“大都市のスラム化”を最も象徴した都市である。“ドーナッツ現象”と言って、デトロイトの中心部は都市としての機能を持っているが、そこから半径10キロの地域はスラム化、一見、廃墟を思わせるような所もある。実際、デトロイトにいたときは半径10キロ圏よりも外に住んで、そこから中心部に車で通勤していた。デトロイトがスラム化したのは、60年代人種問題で暴動が起こったことによる。そのときに多くの市民が都市部から周辺地域に逃げ出した。その後、暴動が終わったあとも人々は戻らず、スラム化した。

日本ではあり得ないと思った。四方を海で囲まれた小さな島国である。逃げる場所がない。一時避難することはあっても、そこに戻らないということはない。やはり逃げる場所があり、戻る必要がないほど国が広いと“移動”することによっていろいろな問題が解決されるのかと思った。日本には“土地を捨てる”といった贅沢は許されない。“定住型”とは、何があっても、逃げることはできず、何とか“折り合い”をつけることが強く求められる。“内”の中のもめ事だけではない。仮に“外”から異質なものが入ってきてもである。その異質なものを、何とか今まであったものと“折り合い”をつけるしかない。

日本古来の原始宗教であった神道に加え、仏教、儒教、道教などいろいろな宗教が日本に入ってきたが、激しくぶつかることもなく、“神仏習合”という言葉があるように、うまく“折り合い”がつき、人々の生活の中に融合している。この“折り合い”をつけるチカラに日本人は驚くほどに優れている。21世紀の多様性の社会を生き抜く力こそ実はこの“折り合い”をつけるチカラ、異質のものを“融合”するチカラなのかもしれない。日本人の可能性がここに隠されている。(つづく)