信長の破壊の流儀 - 第9回 「現世利益」VS「来世利益」の戦い

どのようにして長きにわたる一向宗との経済戦争に勝利したのか。それはこの「現世利益」VS「来世利益」を紐解くことが重要だ。

石山本願寺を頂点とする一向宗は各地で守護、大名、国人などの領主層との経済権益争いを絶えず起こしていた。

正面から石山本願寺一向宗一門に対抗できる、あるいは対抗しようとした勢力は信長が台頭するまで存在しなかったと言ってよい。

信長の対石山本願寺一向一揆戦略の基本は、一向一授の念仏を唱えれば極楽往生できるという「来世利益」に対して、「現世利益」を掲げ、それを多くの人々に示すことにあった。すなわち、信長は様々な経済施策を実施し、経済的な豊かさという「現世利益」を見せることで人々の支持を取りつけようとした。

10年以上に及ぶ信長と石山本願寺との戦いは、中世的封建体制を崩す2つの新しいビジョンのぶつかり合いでもあったことが分かる。

信長の石山本願寺に対する最終的な勝利は、「現世利益」の魅力が「来世利益」を凌駕したと言い換えてもよいだろう。信長が石山本願寺を含む仏教勢力との戦いに勝つためには、軍事力以上に、「現世利益」を具体的な形として示すための巨大な経済力が必要だった。信長についていけば、その先に何か豊かなものが現実として与えられるということを強く感じさせなければならないからだ。

他の戦国大名の家臣団とは異なった価値観を持つ集団だった信長軍団とはいえ、中世仏教の絶対的権威であった比叡山を完膚なきまでに焼き払い、伊勢長島、加賀では一向一授数万人の老若男女を大量殺戮することには強い抵抗感があったはずだ。単なる主従関係によって家臣団にこうした行為を強制するのは難しい。

信長に従えば、その先には豊かさが約束されているという信奉にも似た強烈な意識づけがなければ無理だっただろう。