戦略コミュニケーションで斬る:政権交代を実現した民主党の失敗

戦略コミュニケーションブログでは、今週から4つの新シリーズを始めました。(4つの新シリーズについてはこちらから)

今回の「戦略コミュニケーションで斬る」シリーズでは、様々な時事的な事象を捉えて、戦略コミュニケーションの視点から分析、戦略コミュニケーションの発想から世の中を見ていきます。第一回となる今回は、「政権交代を実現した民主党の失敗」についてです。

今回の政権交代の一つの反省点は日本政治のプラットフォームを変えられなかったことだとある政治に見識のある人が指摘していた。これは事実である。明治維新の時は根底から政治のプラットフォームをひっくり返してしまった。

しかしながら、その新たなプラットフォームが根付くまでに最低10年の時間を費やした。維新最大の功労者である西郷隆盛が明治10年の西南の役で政治の舞台から姿を消すまでは政治の渾沌が続いた。

そもそも政権交代1年で戦後60年を支えてきた屋台骨をすっかり変えること自体無理な話である。国民の期待も虫がよすぎる。

しかしながら、民主党にも問題はある。古来、政権が交代するときは、まずは「出来ないことでもできると言い切って」国民の期待を過剰なまでに高め、それをテコに政権を奪取する。

言い方は悪いが、一種の“騙し打ち”である。明治維新も「尊王攘夷」というスローガンで多くの人々の期待を高めた。その期待するエネルギーで薩長連合は徳川幕府から政権を奪取した。多くの士族や藩主がそれに騙された。薩摩藩の御殿様だった島津久光や土佐藩の山内容堂なども大いに騙された口である。「尊王攘夷」という当時の世論の熱風を利用して政権交代を実現したのである。

明治政府の凄かったことは政権の座に就いた途端にそのスローガンを引き下げ、「和魂洋才」、「殖産興業」と言って「尊王攘夷」とは真逆の開国政策をうつ。これが政権奪取のメカニズムである。

まず騙して政権を取る。取ったら現実路線をひく。取った者勝ちという原則は政治力学の中に純然として存在する。

民主党は「政権交代」というスローガンを掲げた。政権交代によって日本は大きく変わるという風潮をつくった。更には高速道路無料化、子供手当の支給など財源の手当てが不確実なものまで、国民受けする政策としてマニフェストにまとめ、国民の期待を高めた。

その結果、政権を奪取した。ここまでは政治力学の観点からは正しい。

問題は政権を取ってからである。

国民の期待を高めたのは、あくまで政権を奪取することが目的である。政権を取ったならば、次は実際に国を経営することである。政権を取った段階で、国民の期待を高めることから、国民の期待をコントロールすることへ意識をギヤ・チェンジがする必要があった。ところが、民主党はそれをしなかった。

民主党政権から伝わってくるメッセージは国民の期待を更に上げてしまうものばかりであった。その最たるものが「普天間移設は最低でも県外という」という鳩山総理の発言である。民主党に対する過剰な国民の期待が民主党政権の仇となった。

期待をつくるよりも期待をコントロールすることがはるかに難しいことなのである。

戦略コミュニケーションの発想はまず「期待を読む」、そして「期待をマネージする」ことから始まる。

~~~~~~~~~~~~~~~筆者経歴~~~~~~~~~~~~~~~~~

田中 慎一
フライシュマン・ヒラード・ジャパン 代表取締役社長

1978年、本田技研工業入社。
83年よりワシントンDCに駐在、米国における政府議会対策、マスコミ対策を担当。1994年~97年にかけ、セガ・エンタープライズの海外事業展開を担当。1997年にフライシュマン・ヒラードに参画し日本オフィスを立ち上げ、代表取締役に就任。日本の戦略コミュニケーション・コンサルタントの第一人者。近著に「オバマ戦略のカラクリ」「破壊者の流儀 不確かな社会を生き抜く”したたかさ”を学ぶ 」(共にアスキー新書)がある。