信長と銭2(コミュニケーション百景* 第6回)

(からの続き)通常、「銭」は戦場の旗印に似つかわしくない。

当時はカネより兵力、武力で合戦に勝つという考え方が基本であったし、武田信玄の「風林火山」の馬印、あるいは徳川家康の「厭離穢土 欣求浄土」の軍旗に見られるように、旗印や馬印はその軍団の哲学、信仰などを表すのが一般的であった。

唯一、信州真田家が旗印に六紋銭を使用していたが、これは人間が死後「六道」の迷界のいずれかに生まれ変わるため、その入り口で一文づつ木戸銭を払うという輪廻の考え方、そして人間の殺生という罪を救ってもらえるという地蔵信仰の考え方が原点にある。しかし信長の永楽銭には、そうした仏教的色彩はない。

信長が見据えていたもの、それは一つには、永楽銭が経済の基本であり、それがあれば鉄砲、傭兵、米の調達、公家の懐柔まで何でも出来る、「銭」こそが天下をとる上で最も必要な手段であるという概念であるが、それだけではない。

永楽銭の旗印の持つ象徴的な意味は、

1)新し物好きの信長独特の、人々の意表を突く手段としての意味合いとともに、

2)「銭」を介在とする経済、商業がこれからの戦を支配するという、新時代の幕開けを敵にも味方にも知らしめ、自らその旗手となることを宣言しつつ、

3)当時ニッポンで唯一全国津々浦々まで通用する永楽銭をシンボルとすることがすなわち、自分の錦の御旗が全国に通用するという意識、信長の力が全国に行き渡り、信長こそが天下に号令するという認識をつくる事に繋がる

そうした意味までもが含まれていたのではないか。

つまり、今日でいえば携帯電話あるいはウィンドウズのように、非常に便利で、世界中どこでも通用し、皆が価値を認めているデファクトスタンダードを支配する、さらにはそうしたデファクトスタンダードになるのが信長である、という意識である。

こうしてみると、信長が永楽銭の旗印を持って行おうとしたことは、人々の価値観を抜本的に変える、「意識改革」までもが含まれていることが分かる。

私がかつて学んだビジネススクールでは、

リーダーシップの3要素として

「先のビジョンを示し、それに向けて人々を方向づけ、モチベートしていく」

ことを学んだが、信長は戦国武将の中で混沌の時代にいち早く「銭」の価値に目を付け、この先のどういう時代が来るのかを「銭」によって人々に示し、そして「銭」を獲得すべく家臣団を動機づけていった、変革期のリーダーにふさわしいリーダーシップを発揮した存在であったのではなかろうか。

いま日本経済は景気低迷、株価も底割れし、混沌として先が見えない状況といわれるが、「銭」にいち早く目を付けた信長のようなビジネスリーダーの登場が一日も早く望まれることだけは間違いない。

*「コミュニケーション百景」。このシリーズのモットーは“コミュニケーションを24時間考える”です。寝ても覚めてもコミュニケーションを考えることを信条にしています。コミュニケーションでいろいろと思いつくことを書き綴っていきたいと思っています。

~~~~~~~~~~~~~~~筆者経歴~~~~~~~~~~~~~~~~~

田中 慎一
フライシュマン・ヒラード・ジャパン 代表取締役社長

1978年、本田技研工業入社。
83年よりワシントンDCに駐在、米国における政府議会対策、マスコミ対策を担当。1994年~97年にかけ、セガ・エンタープライズの海外事業展開を担当。1997年にフライシュマン・ヒラードに参画し日本オフィスを立ち上げ、代表取締役に就任。日本の戦略コミュニケーション・コンサルタントの第一人者。近著に「オバマ戦略のカラクリ」「破壊者の流儀 不確かな社会を生き抜く”したたかさ”を学ぶ 」(共にアスキー新書)がある。

☆twitterアカウント:@ShinTanaka