(コラム)戦うコミュニケーションの発想の原点、世界最古の兵書「孫子」3:戦うコミュニケーションの本質 “人間の意識を囲い込め! (後編)

目の前にいない多くの相手の意識を囲い込む、メッセージ戦争開始!
春秋時代末期、戦国時代に起こった戦争形態の構造変化にはもうひとつの側面があった。

限定戦から総力戦へのシフトである。春秋時代の戦争は前述したように「専門家による、専門家のための、専門家の」戦いであった。限定された地域での、限定された時間での、限定された専門戦士同士の戦いであった。ところが歩兵部隊を主力とする軍隊編成の出現によって、地理的な条件にあまり制約されず、遠国まで遠征することができるようになる。そうなると大部隊を遠い異国の地まで派遣するため兵站の充実が必要となる。更には、その兵站を支える本国の経済力の有無が戦争の勝敗に大きく影響してくる。まさに総力戦の様相を呈してくる。こうなると戦争に関わる人々の数が急激に増える。今までは戦場にいる敵・味方の兵士だけであったのが、兵站を司る要員、更には本国で経済を支えている一般人民、直接、戦争には関わっていないが周辺の諸侯・国など、今様で言うステークホルダー(利害関係者)が急速に多様化する。戦場にいる敵味方の将兵の意識だけではなく、より多くの関係者の意識を相手にしなければならなくなる。しかも、関係者が増えるということは利害関係が複雑に錯綜し易く、敵・味方と白黒がはっきりした構図は消え、状況によっては味方になったり、敵に靡いたりその意識は移ろい易くなる。言い換えれば、ステークホルダー(利害関係者)との関係性が絶えず流動化する事態に直面する。味方であったのが突然敵に豹変する。逆に敵であったのが味方に変貌する。そうなると戦いに勝つためには、戦場にいる味方の兵士の士気を高め、敵の兵士の戦意を挫くだけでは十分ではない。その戦力を後方で支えている様々なステークホルダーの意識を囲い込み、その支持を取り付け、その関係性を安定にする。一方で敵の戦力を後方で支えているステークホルダーの意識を揺さぶり、その支持を脆弱化させ、戦場にいる敵との関係性を流動化する。更には、友邦国との関係を強化すると同時に、敵とその友邦国との関係性を脆弱化させ、敵から切り離す。目前の戦場にはいない様々な利害関係をもつ相手に的確なメッセージを次々に発信していくことが戦いに勝つための鍵を握ることになる。勝敗は最早、戦場ではなく、目前の戦場にいない相手の意識を囲い込むため敵・味方双方がどうメッセージ戦を戦うかに軸足が移っていく。まさに戦うコミュニケーションの発想である。春秋時代末期に起こったこの戦争形態の構造変化が「孫子」というコミュニケーション力学に立脚した世界最古の兵書を生み出す。

「孫子」の本質は関係性のマネジメント 
戦争は事象的には物理的な軍事力の衝突であるが、本質的には敵・味方双方の意識の衝突である。勝敗は兵を攻めることではなく、意識を攻めることによって決まる。

勝敗に影響するあらゆるステークホルダーの意識をどれだけ囲い込めるかが勝敗の明暗を分ける。相手の意識を囲い込むとは、相手との関係性を安定にすることである。コミュニケーションの力によって戦争に関係する様々な相手の意識を囲い込み、揺さぶり、そして動かす。戦うコミュニケーションの発想によって敵・味方、やその他多くの相手と戦略的な関係性を構築、それをテコに戦争を勝利に導く。言い換えれば関係性のマネジメントによって戦いに勝つことを説いたのが「孫子」と言える。これが「孫子」の本質である。21世紀に生きるすべてのリーダーにとって最大の課題は人間の意識の壁である。あらゆる変革を行う上で最大の敵は本質的に変化を嫌う人間の意識の硬直性である。孫子」は戦争に関わるあらゆる相手との関係性のマネジメントを説いた兵書である。ここに「孫子」を読み解く現代的意味がある。