(コラム)コミュニケーションの視点から見た信長論1:はじめに

フライシュマン ヒラード ジャパンの田中です。フライシュマン ヒラードは、コミュニケーシ ョン・コンサルティングで世界 No1.の実績を誇るコミュニケーション・エージェンシーです。 私は、日頃、コミュニケーション戦略に関する仕事をする中で気がついた事として、日本の リーダーシップ論においてはコミュニケーションを体系的に捉えた視点が欠如しているという 事です。コミュニケーションをどちらかというと属人的なものとして捉えてしまう傾向があり ます。リーダーシップとコミュニケーションとは表裏一体の関係にあります。

 

変化の時代のリーダーとして、昔から多くの方々が「信長」を語ってきた。司馬遼太郎、津本陽、童門冬二、堺屋太一、そして最近では『本能寺』で話題になった池宮彰一郎や『信長燃ゆ』の安部龍太郎など、それぞれ独特の視点で「信長」を捉え、変革期のリーダーとして描いている。
私自身は、歴史小説家でもなければ、歴史を専門に追いかけてきた人間でもない。私の専門はコミュニケーションである。企業戦略とコミュニケーション戦略、リーダーシップとコミュニケーション、ブランドとコミュニケーションといった事柄に関して、コミュニケーション・コンサルタントとして日々の実践を通じて研究してきた。人間社会の様々な事象の背後にあるコミュニケーションという世界を探求してきた者である。

その私が、なぜ「信長」を論ずるのか。

ある勉強会で、最近、話題のコーポレート・ブランディングの話をしていた時に、参加者のひとりのある経営者から「コーポレート・ブランディングの考え方はよくわかるが、出てくる例は、皆な外国人の経営者ばかり。誰か日本人の経営者の例はないのか」と質問された。なるほど、もともとコーポレート・ブランディングの考え方は90年代アメリカで試行錯誤の中、生まれてきたものであるから、日本人の例などまだないという思い込みがあった。日本人で誰かいないかと考えた時、咄嗟に思いついたのが「信長」である。
実は、信長に関しては、昔から個人的に興味を持っていたが、自分の専門であるコミュニケーションという観点から眺めたことはなかった。この勉強会以来、「信長」をコミュニケーションという視点から考えるようになった。

コーポレート・ブランディングの本質は、一言で言うならば、ある目的に向かって、システマチックに人々の意識変革を行い、人々の行動を駆り立てる一連のプロセスである。別の表現をすれば、「リーダシップ」をコミュニケーションの視点から捉えたものである。
人間の社会であるから、何か事を成そうと考えたとき、人を動かさない限り何事も実現しない。この、至って当たり前ではあるが、厳然とした事実を考えたとき、90年代のビジネス・リーダーたちだけが実践してきたものではないことに気づく。
人類がこの世に誕生して以来、リーダーと呼ばれる人々は何らかの方法で創意工夫し、人々を動かし目的を実現してきた。コーポレート・ブランディングとは、多くのリーダー達が実行してきたことをシステマチックに、あるいは体系的に捉え、コミュニケーションという視点からより解り易いプロセスとして落とし込んだものである。
シーザー、ナポレオン、そして信長などの歴史上のリーダーたちが、どのように人々を動かしビジョンや目的を実現してきたのかを、コーポレート・ブランディングの視点から分析してみると、リーダーシップとコミュニケーションの関係がより鮮明になるのではないか。今までリーダー論が語られるとき、コミュニケーションという切り口で説明されるケースがあまりなかったのではないか。
この際、「信長」という日本人の誰もが知っているリーダーを、コミュニケーションのアングルから見直してみると、新たな「信長」像が浮かび出てくるのではと考え、ブランディングという視点からの信長考察を始めた次第である。