(コラム)小泉純一郎の戦略コミュニケーションの本質2:小泉流メッセージ力学の本質

世論という「公(おおやけ)」の力のマジック

世論が政治を動かす。当たり前のことである。ところが世論を使って政治を動かすとなると話は別である。特に日本国内において世論を気にする政治家は多いが、世論を利用する政治家は稀有である。政治家のメッセージ性が世論を喚起する。その世論をテコに政治を動かす。このような事象が認識されはじめたのは小泉総理が誕生してからである。

しかし、それ以前の事象として「石原慎太郎現象」がある。石原慎太郎は1994年の東京都知事選で彗星のごとく人気No.1の政治家として登場した。「東京から日本を変える」というスローガンを掲げ、日本で最初の本格的なテレビ・メデイア選挙を展開した。その基本構図は霞ヶ関に象徴される官僚主導・中央集権体制を仮想敵と位置づけ、「Noと言える東京」をスローガンに闘うリーダー像を演出した。まだ人もまばらな朝、出馬宣言を東京都庁の建物を背景に行う等、テレビ目線を意識した選挙戦術を駆使した。その結果、東京都の世論は動く。浮動票を一挙に取り込み、終盤の追い込みで選挙に勝利する。この時から政治家のメッセージ性が注目され始めた。

小泉純一郎と石原慎太郎の共通点は「世論」をテコに勝利をものにすることである。石原慎太郎には組織票はない。自らの名声だけである。小泉純一郎も自民党では“一匹狼”として知られ、彼を支える派閥はなかった。ふたりとも「公」(Public)という存在に着目し、それが潜在させている力を世論の支持というかたちで抽出した。従来のように、組織や派閥など当事者同士を中心に物事を決めていくやり方に対して、「公」(Public)という場に相手を引きずり出し、世論の支持というカナ槌で叩く。小泉流メッセージ力学のルーツは石原慎太郎にあるのだ。

小泉純一郎は世論の力を本格的に活用した日本で最初の政治家といってよい。「公」(Public)が持つ潜在力の本質を直感的に知っており、かつそのマジックに精通した政治家として非常に珍しい存在である。自民党総裁としての6年間、彼の最大の敵は民主党ではなく、自民党の派閥力学であった。傍流であるがゆえに派閥力学を超えた新たな力によって権力闘争を闘い抜くことが必要であった。敵を「公」(Public)の場に引きずり出し、「世論」という剣で砕く、それが小泉流である。自らのメッセージ性を高め、巧みなまでに世論の支持を取り付けながら選挙での勝利のみならず、党内の政争や政局を乗り切ってきた。小泉流メッセージ力学の誕生である。

小泉流コミュニケーションはダークサイドである。 
ジョージ・ルーカス製作・総指揮の「スターウォーズ」という映画がある。
全6部作のスペースオペラであるが、この作品の中で「ダースベイダー」という悪を象徴する戦士が、正義の戦士である「ジェダイ」と闘うシーンが多く出てくる。面白いのは悪の戦士である「ダースベイダー」がひとりで複数の「ジェダイ」達と戦うシーンが多いことである。「ジェダイ」の力の源は「フォース」という宇宙に遍在するエネルギーである。それはどちらかというと人間の正の感情を基としているが、これに対し「ダースベイダー」の力の源泉は、ダークサイドの「フォース」と呼ばれ、人間の負の感情に根ざしたものである。つまり、同じ「フォース」でも人間の負の感情をベースとした「フォース」のほうがエネルギー的には強いのである。だから、悪の戦士「ダースベイダー」は複数の「ジェダイ」を相手にできる。しかしながら、6部作という長編の結末は、強いはずのダークサイドの「フォース」が、正義の味方の「フォース」に敗れる。ダークサイドの「フォース」は瞬間的には強烈なエネルギーを出すが、時間をかけて力を積み上げて行く正の感情に根ざしたジェダイサイドの「フォース」の方が結果的には勝つという構図である。
コミュニケーションという「フォース」にも2つの種類がある。ひとつは、人間のもつ正の感情に訴えるやり方である。感謝する、同情する、哀れむ、尊敬するなどの感情である。もうひとつは人間のもつ負の感情に訴える方法である。憎む、羨む、妬む、怒る、恐れるなど人間がもつ「負」の側面に働きかける。

小泉純一郎のコミュニケーションの本質は、基本的には人の負の感情に対して訴えかけることである。言わばダークサイド・コミュニケーションである。負の感情を利用する方が正の感情に訴えるよりも、より強烈なメッセージが発信できる。小泉純一郎のメッセージ発信の構図には、この負の感情をかき立てる仕掛けがビルトインされている。そこにはまず、人々の怒りや妬みをぶつける対象であ“悪の存在”、“国民の敵”となるものが必要となる。その敵が巨大であればあるほど、強ければ強いほど恐怖心や怒りを煽ることができ、広く・浅く・多くの国民にアピールできる。ここでは物事を善悪、白黒という単純明快な構図で色分けすることが重要となる。二元論ですべてを斬るという構図は、国民にとって非常に分かりやすい。当然、小泉純一郎は正義の側である。そして国民に二者択一の選択を迫るのである。

仮想敵をつくることで怒りを醸成し、敵と戦うという構図を土台にメッセージ性を高めるやり方は、歴史上変革期においてよく使われてきた手法である。20世紀前半、ヒットラーが誕生してきた経緯において使われたメッセージ発信の構図等は良い例である。第一次大戦での敗北を喫したドイツでは、経済が破綻し政治は混迷を極め、生活苦の中で多くの国民が変化を強く求めていた。国民感情の底辺に流れていた変化への強い欲求を逆手に、ヒットラーはユダヤ人と共産主義を仮想敵として位置付けた。そして、その仮想敵に対する憎悪を駆り立て、ナショナリズムの高揚を通じてヒットラーは強烈なオーラのようなメッセージを発信し続けたのである。その結果、ナチス・ドイツ第三帝国誕生に向けて人々の意識と行動を大きく動かすことができた。これがヒットラーのメッセージ力学の基本構図である。

小泉流のダークサイド・コミュニケーションは、今まで多くの“国民の敵”をつくってきた。「自民党をぶっ壊す」と言って自民党を、「構造改革の本丸」と言って郵政公社を、「抵抗勢力」と言って造反議員を、さらには民主党を“国民の敵”としてレッテルを貼ってきた。靖国問題では「心の問題」と言い切って中国や韓国に対するプチ・ナショナリズムをも煽った。

ダークサイド・コミュニケーションは確かに短期間で人々の気持ちをつかむ。しかしその反面、反作用も生ずる。複雑化した現実の問題を、ある意味二元論ですっぱりと斬るため、時間の経過とともに事実関係の齟齬をきたしメッセージが劣化してしまう。また、強烈なメッセージ発信であるだけに、まわりの期待値を上げ過ぎてしまい、少しでも期待に答えられないとその反動がくる。しかも、白黒をはっきりさせるため、今まで培ってきた支持者との関係を壊すことにもなる。ダークサイド・コミュニケーションはそのメッセージ性が強烈なため、その副作用も大きい。この副作用をどうコントロールするかがこの“力”を使うための要諦である。並大抵の政治家では使いこなせない。小泉純一郎はメッセージ力学の魔術師なのである。