(コラム)小泉純一郎の戦略コミュニケーションの本質1: 小泉純一郎は救世主かヒットラーか。~敗者の視点から~

小泉純一郎と3年間戦ってきた。

民主党から総選挙への協力要請を受けたのは2003年の6月である。
戦略コミュニケーションのコンサルティングが日本の国政選挙に初めて関わった時である。「マニフェスト」選挙と呼ばれた2003年11月の衆院選、「年金」選挙であった 2004年9月の参院選、そして「郵政民営化」の是非が問われた2005年9月の衆院選と3年間立て続けに国政選挙の場で小泉純一郎のコミュニケーション力学と戦ってきた。

特に最後の2005年の総選挙は一生涯忘れ得ぬものとなった。

「郵政民営化に賛成なのか、反対なのか国民に問いたい。」この小泉総理の一言が流れを決めた。あとは怒涛の如く押し寄せてくる小泉メッセージの凄さに翻弄され、そのまま9月11日の開票日までもっていかれた。結果、2005年の総選挙で民主党は大惨敗を帰した。巨大な竜巻に呑み込まれたような感覚は今でも忘れない。コミュニケーションの修羅場は数多く掻い潜ってきたが、その力の凄さをこれほどまでに身をもって体感したのは久々であった。敗者の視点から小泉純一郎のメッセージ力学を検証することが戦略コミュニケーションの本質をとらえる上で重要と考える。

2005年9月11日、何かが動いた。 
流れは民主党にあった。

民主党は民主・自由両党の合併を梃子に2003年の衆院選挙で政権選択を迫った。

マニフェストを旗印に議席の大幅増を実現、2大政党制への布石を打った。
2004年の参院選は政界が年金未納問題でゆれに揺れた。自民・公明・民主、各党の党首を直撃、民主党では菅・小沢と辞任劇が続く中、無名に近い岡田克也代表が年金問題をテーマに人々の予想を超え自民に勝利した。「政権選択」、「マニフェスト」、そして、「2大政党制」という民主党が仕掛けた標語はマスコミや有権者の間に確実に浸透していた。機は熟しつつある。いよいよ次期衆院選での政権交代の実現は目前だという認識は確かに存在した。ところが、蓋を開けてみれば、9月11日の開票結果は小泉自民党の歴史的大勝利であった。自民党は84議席増やし、296議席を確保、自公による絶対安定多数を実現した。一方、民主党は64議席を失い、113議席と2003年衆院選前の勢力に追い込まれた。翌日の各紙の見出しを拾ってみると、 「驚異“小泉魔術”民主もぶっ壊す」(東京新聞)、 「自民マジックで席巻、民主牙城で崩壊」(毎日新聞)、「小泉劇場独り舞台、岡田民主“政権後退”」(読売新聞)、「小泉劇場大当たり」(毎日新聞)、「小泉突風造反飛ばす」(産経新聞)、「主役小泉一人勝ち、夢砕け民主は脇役」(朝日新聞)など自民VS民主という構図よりも「小泉」VS「民主」といった図柄での報道が目立った。また、魔術とか、マジックとか、劇場とか小泉純一郎のメッセージ性に起因した表現が多い。

小泉というひとりの政治家が仕掛けたメッセージに世の中が大きく反応、自民党の歴史的勝利を演出したという文脈である。

小泉流メッセージ発信によって何かが動いた。それも大きく動いた。
2005年の総選挙の投票率67.5%であった。2003年の総選挙より7ポイント以上増えた。

投票率が上がれば民主党有利という神話があった。投票率があと6ポイント上がれば政権交代だということはよく言われていた。かつて投票日に雨が降れば投票率が下がるので自民党に有利だと嘯いた政治家もいた。投票率が上がることによって無党派層の票が民主に流れ込む構図である。ところがその神話が崩壊した。地殻変動が起きた。無党派という範疇では捉えきれない不特定多数のかたまりが大きく動いた。小泉現象である。

6年前にも一度、この小泉現象が起こっている。
2000年9月の自民党総裁選挙である。「永田町の変人」というイメージしかなかったマイナーな小泉純一郎が、自民党の総裁選というステージで突然、脚光を浴びたのは2000年の9月である。「自民党をぶっ壊す」と連呼、「自民党を変えて、日本を変える」というスローガンを発信し続けた。自民党の総裁選でありながら、さながら国政選挙並みにマスコミは騒ぎ立て、小泉純一郎という政治家の存在が大きく全国的にクローズアップされた。
今では政敵になってしまった田中真紀子とのおしどり遊説の報道映像は多くの国民の脳裏に今でも焼きついている。異様なまでに盛り上がった小泉人気をバックに自民党固有の派閥人事をねじ伏せた。自民党最大派閥の領袖である橋本龍太郎元首相を破り、自民党総裁に就く。小泉純一郎のメッセージ力学が従来の自民党の派閥力学を超えた瞬間である。小泉自民党総裁を誕生させたのは、それは、最早、世論などという覚めたものではない。強烈なパブリック・パーセプション(社会的思い込み)の出現である。

「山」がまた動いた 
小泉劇場を構成する3つの要素がある。ステージ・映像・主役である。まずは、ステージング(Staging)の上手さが際立つ。小泉が演じるステージを小泉が設定する。

郵政民営化法案の行方が微妙に揺れ動く中、解散するか否かが様々な憶測を呼んだ。解散すれば自民党が不利であるというのが大方の見方であった。週刊誌も「自民頓死、200議席割れ!民主241議席単独政権」(週間文春)、「自民党160議席割れで民主党・岡田政権誕生」(週間ポスト)などと囃し立てた。反小泉の自民党抵抗勢力は解散などしないだろうと高をくくる。一方、いよいよ政権交代だと浮き足立つ民主党。このような構図の中で8月8日の赤いカーテンを背景に小泉総理の解散演説がおこなわれた。四面楚歌という絶体絶命の状況下の中で敢えて不利を承知で郵政民営化という自らの“信念”を説く。

“国民に問いてみたい”という名台詞を吐いて解散宣言をする。絶妙なステージングである。このステージングの上手さが流れを変えた。有利であると言われていた民主党は一転、守勢にまわされ、小泉メッセージによる波状攻撃に完膚なきまでにやられる。

ステージングの妙は“意外性”である。この“意外性”の創出が小泉メッセージ力学の真髄である。小泉総理が誕生して以来、“サプライズ”という言葉が定着した。小泉流メッセージ発信はまさにこの“サプライズ”をテコにその伝達力を強化した。

その要諦はメッセージのコントロールである。敵を騙すには先ず味方からという思考である。限られたメンバーの中での小泉総理の陣頭指揮があって初めて可能となる。

政治のワイドショー化を加速させた、小泉総理誕生 
映像に対する執着では小泉純一郎の右にでる日本の政治家はいない。2005年の総選挙で小泉の演出した映像3部作は刺客騒動、堀エモン、そして郵政遊説である。この3部作によって小泉はワイドショーの放映ジャックに成功する。郵政民営化反対の自民党“造反議員”候補ひとりひとりに対立候補を立てる。この策はそれぞれの選挙区の中で、自民党地方組織の分裂・自民党不利という構図を生んだ。しかしながら、“刺客騒動”と命名されたこの策は多くの注目選挙区を生み出し、マスコミが一斉に飛びついた。とくに各局のワイドショーは連日連夜、刺客騒動で揺れる各選挙区を報道する。この“刺客騒動”は2つの効果を自民党にもたらした。ひとつは民主党の放映時間が相対的に減ったことである。テレビ局は基本的に各党に対してその議席数の大きさに関わらず、平等に選挙報道の時間配分を行う。本来であるならば自民、民主、公明、社民、共産、無所属という形でそれぞれ1/6の放映時間の配分となる。ところが、“刺客”を放たれた選挙区では自民の時間配分が実際は2/6になる。造反議員とは言っても視聴者からすれば自民であることにかわりはない。結果として民主党の時間配分が相対的に減る。ふたつ目の効果は、「郵政民営化YES or NO」という自民の選挙テーマを視聴者にすり込んだことである。“刺客騒動”中心の選挙報道がなされる中で、郵政民営化に反対なのか、賛成なのかが大きくクローズアップされ自民の土俵である「郵政民営化”YES or NO」が総選挙の主題となる。一方、郵政民営化より大事なものがあるという考えに立った民主の土俵「郵政民営化 or 年金・子育て」は吹っ飛ぶ。当時、注目キャラであった堀エモンを亀井静香候補にぶつけた判断は映像的に絶妙である。亀井議員も抵抗勢力のドンといったレッテルが貼られており、堀エモンに十分対抗できるキャラである。世代間の戦いといったニュアンスも含みながら、個性豊かな二つのキャラが激突する姿はワイドショーの格好のネタである。刺客騒動や堀エモンだけではない、小泉本人も頑張った。5年前の総裁選のときの熱気を思いだすほどの多くの人々が小泉遊説に熱狂した。演説の内容は殆どが郵政民営化である。どこの遊説のシーンを切り取っても郵政民営化である。金太郎飴である。連日連夜、小泉が郵政民営化を遊説で説く映像が視聴者にすり込まれていく。

企画・脚本・演出・主演、小泉純一郎
2005年の総選挙は小泉純一郎が企画・脚本・演出・主演をした舞台であった。 主役も演じるプロデューサーとしての小泉を支えているのは「思い込みの強さ」である。 「成りきる」強さを小泉はもっている。

強いメッセージ性の基本は一貫したメッセージを何時でも、何処でも発信し続けることができるか否かにかかっている。人はメッセージを四六時中発信している。言葉だけではない、行為そのものがメッセージを発信している。24時間、一貫したメッセージを発信することは至難の業である。ある意味24時間主役を演じなければならない。シナリオを書く、役者を決める、舞台を設定する、そして自ら演じる。小泉劇場と言われる所以である。
小泉純一郎というひとりの政治家は小泉流メッセージ力学で2005年の総選挙で何かを動かした。この“力”の本質は何であるのかを検証することがこれからの課題である。

この“力”を使える者は、その目的によっては救世主にもヒットラーにもなり得るのである。