挨拶はコミュニケーションの原点「挨拶をあまくみるな!」

挨拶はメッセージ発信の基本である。

人間が初めて発するメッセージは”おぎゃー”と泣くことである。これによって人間は”おれはいきているぞ!”ということを周りに理解させる。赤ちゃんが産まれたときに鳴き声を出さなかったら原始時代は正常ではないといってほっておかれる。それは赤ちゃんにとっては死を意味する。メッセージを絶えず発信し続けることによって人は生かされていく。

メッセージの受発信を司る力がコミュニケーションの力である。

コミュニケーションとは神様が人間に授けた生き抜くための力である。

人はメッセージを発信続けることによって周りとの関係性を構築していく。その関係性の中で人は生かされる。適切なメッセージ発信に失敗すれば、それはかっては死を意味した。人も、企業も、国も、絶えずメッセージを発信し続ける中で、人生、戦略、外交戦略を実現するための戦略的な関係性を築くことに腐心する。

挨拶はまさに人のメッセージ発信の基本単位である。

挨拶をすることによって自分は元気だ、あなたの存在を認めているよというメッセージを発信する。その相手の反応を見て、次にどのようなのメッセージを出すかを考える。

これが日常的に人が行っているコミュニケーションのプロセスである。

相手の反応が良ければ、まずひと安心、悪ければ、ひとつの注意信号を人は受け取る。そして警戒する。挨拶に対する相手の反応が元気がなければ、相手の状態を聞いてみる。

このような会話が日常茶飯事であるが、このことをもう少し意識して見ると、そこには人間の防衛本能が垣間見える。よくスリラーで物音が暗闇の中ですると、”誰だ!”といって暗闇の中の反応をみる。そこに自分に対して危害を加えるものがいるのか、そうでないのかを確認するためのメッセージ発信である。

挨拶もこの範疇にはいる。人は絶えずメッセージを発信し続けることによって周囲の状況を把握し、自己防衛、あるいは目的実現のためにさらなるメッセージを発信する。

まわりの人々が自分にとって危害を加える存在なのか、自分を生かしてくれる存在なのかを見極める力がコミュニケーションの力である。

ひとはまわりの関係性によって生かされている。この関係性が自分の生存、目的実現に資するかどうかを絶えずメッセージ発信によって確認、さらにその関係性が自分の生存や自己実現に役立つようにさらなるメッセージ発信を通じてより有意な関係性を構築していく発想が戦略コミュニケーションの発想である。

簡単にいうならば、”周りの関係性に自分は生かされているという発想をもつことである。そのなかで自分が生き抜くためにはなにをしなければならないかをコミュニケーションの視点から発想することである。