信長の破壊の流儀 - 第14回 ステークホルダーの意識改革、天下統一の道筋をつくる

シリーズ最終回は今まで幾度も書いてきたことだが、信長のなし得た人の意識の変革について改めて語り、しめくくりとしたい。

織田信長は1582年京都本能寺の変によって天下統一の志半ばで倒れる。天下統一の実現の途上半ばで、信長は倒れたが、天下統一の道筋はしっかりと作ることに成功したと言える。

信長は、中世から近世を飛び越して近代まで持っていく程の勢いであったが、信長が発想した新たな“革新”の方向性は、その後、穏便ながらも後継者である豊臣秀吉と徳川家康に引き継がれ、江戸時代約300年という世界史上でも珍しい天下泰平の世を実現させる。

秀吉や家康は、信長ほどに大胆ではなかったが、これらの信長が発想した様々な“革新”の考え方をより精緻化し、大規模に展開した。それによって、中世に幕を引き、日本社会は近世へ足を踏み入れることになった。

信長の最大の功績は中世の意識を“破壊”、近世の意識を“革新”したことである。変化を嫌う人々の意識を徹底的に“破壊”した。その上に秀吉も家康も新しい意識を積み上げることができた。

信長は日本史上、限られた時間で、最も多くの人々に意識を変えたリーダーである。