ロビイングの本質を実感する(前編)(戦略コミュニケーションの温故知新* 第6回)

ワシントンに赴任してから数ヶ月間は飯塚所長に連れられていろいろな人に会った。トヨタ、日産、日本自動車工業会、大使館などワシントン在住の関係者、米国の議員、政府関係者、などである。

ロビイング (Lobbying)というからには、さぞかし水面下の裏話でもするのかと思いきや表面的な情報交換で終始する。ワシントンの高級ホテルで暗躍するロビイストのイメージを持っていただけに当てが外れた。

実際のところロビイングは必ずしも水面下で動くことばかりではない。正々堂々と企業を代表して議員に会い、政策変更の論陣を張ることもある。また、ロビイングと似た言葉で Government Relations(GR)、Public Affairs(PA)がある。

Lobbying、GR、PAとこれらの概念を明確に区別することに然して意味はないが、

Lobbyingは政策や法案の内容に直接影響を与える活動、

GRは政府との包括的なコミュニケーション活動、

PA(Public Advocacyとも言う)は政策や法案に影響を与えるため世論の支持を取り付ける活動
と大まかに整理できる。

日本の自動車会社の中ではホンダがワシントン事務所設置の先鞭をつけた。アメリカ人だった初代の所長はビル・トリプレットというワシントンでは名を馳せたロビイストであったらしい。当時、トリプレットは攻めのロビイングを志向、守りのロビイングを方針とする米国ホンダの考え方と対立した。

結果、トリプレットは去り、二代目の所長として日本人の飯塚さんが着任した。1983年当時のホンダのワシントン事務所は積極的なロビイングは行っていなかった。トヨタ、日産と異なり、所謂、大物ロビイストも雇っていなかった。米国運輸省からの規制情報の収集、分析や議会での自動車関連法案情報のモニタリングが中心となっていた。1メートル以上に積み上がるほどのレポートが毎日“生産”されていた。(つづく)

*「戦略コミュニケーションの温故知新」。このシリーズでは一度、原点回帰という意味で私のコミュニケーションの系譜を振り返り、整理し、そこから新たな発想を得ることが狙いです。コミュニケーションの妙なるところが伝えられれば幸いだと考えます。(前回はこちらから)

~~~~~~~~~~~~~~~筆者経歴~~~~~~~~~~~~~~~~~

田中 慎一
フライシュマン・ヒラード・ジャパン 代表取締役社長

1978年、本田技研工業入社。
83年よりワシントンDCに駐在、米国における政府議会対策、マスコミ対策を担当。1994年~97年にかけ、セガ・エンタープライズの海外事業展開を担当。1997年にフライシュマン・ヒラードに参画し日本オフィスを立ち上げ、代表取締役に就任。日本の戦略コミュニケーション・コンサルタントの第一人者。近著に「オバマ戦略のカラクリ」「破壊者の流儀 不確かな社会を生き抜く”したたかさ”を学ぶ 」(共にアスキー新書)がある。

☆twitterアカウント:@ShinTanaka