人生100年の時代、どう「強かに」変身し続けるか ~戦略コミュニケーションの視座~

自分に毎日語り聞かせるストーリーを持つ

「ライフ・シフト」100年時代の人生戦略という本がある。少子高齢化の最先端を行く日本では話題になった本である。

これまでは多くの人々が「教育→仕事→引退」というシンプルな生き方がひとつの常識だったが、長寿化によってより“マルチ・ステージ”の中で人生のライフ・モデルを模索する時代になる。

仮に60歳で会社を引退しても、残りの40年をどう生きるかは高齢者だけの問題はない。人生100年の時代を生きる全ての世代に共通する課題である。そこではそのステージごとに「変身」を続け、「強かな立ち位置」を作っていくことが必要となる。

 

それは人生のストーリーを絶えず書き換え進化させることを意味する。

ストーリーは人に語るものではない。自分に毎日語り聞かせるものである。それが自分に元気と活力を与え、行動を喚起させるのである。行動こそ状況を動かす最大の表現である。自分が行動しない限り周りは動かない。

自分のストーリーを持つことによって行動という表現力を持つことが結果として、マルチ・ステージにおいて十分耐え得る立ち位置をつくる。禅の言葉である「融通無限自由自在、随所に主となれば立処皆真なり」という境地に近づく。

 

知識の過剰摂取は足かせになる。右脳を鍛える

最近、このライフ・シフトを実現させるための中高年向け研修が流行っていて、多くの企業がその導入に動いている。この風潮は「働き方改革」推進という枠の中でますます強まっていく。この手のものが今後たくさん出てくる。

しかしながら、多くの研修が知識習得型のものになっている。左脳偏重の内容になっている。絶えず、新たなステージで自分の立ち位置をつくるものは「知識」ではない。AIがどんどん広がっていく世界では知識は陳腐化する対象でしかない。

 

強かな立ち位置で変身し続ける

立ち位置をつくる時に最も求められるのが精神的エネルギーである。平たく言えば、“元気”を得ることである。知識をどんなに積み上げても“元気”は出てこない。逆に知識の過剰摂取は、感受性を弱体化させ、立ち位置をつくる上で最も重要な感覚する力=受信力を弱める。“元気”を減退させるのである。

人生の新たなステージ開拓にはそれ相応の精神的的エネルギーを必要とする。自分の“元気”をどうこれから確保していくかが勝負になる。ところが、人間は歳をとるに従い身体的能力が低下する。厄介なのは、身体の衰えは精神的エネルギーの供給にも影響する。

個人差はあるが一般的に60代の大台に乗ると精神的エネルギーの減退は加速する。ここをどう乗り越えるかがライフ・シフトにとって最大の壁である。42キロを走るフルマラソンではよく“心が折れる” ということが起きる。これは身体の限界が精神的エネルギーの供給をも止めてしまう現象である。ところが、70代、80代になっても旺盛さを失わないビジネス・リーダーは多い。これらのリーダー達に共通するものは、仕事や人生のステージごとに強かに変身し続けることを可能にする精神的エネルギーを十分確保していることである。

 

強かな精神性を支える「生」と「死」のハイブリッド・エンジンを持つ

何故、彼らは変身し続ける元気とエネルギーを確保しているのか。

ひとつ言えることは、「自分との対話」を常時欠かさないことである。経験を積む、特に成功体験を重ねてきた人が陥る最大のリスクがその世界観の固定化である。成功体験も一旦はご破算にしないと様々な事象を凝り固まった経験のフレームワークの中にはめ込もうとする。これに傲慢さが加われば今起こっている事象の本質を全く取り違えてしまう。

「強かさ」に変身を遂げているリーダーは、“自分の心をゼロにする”何らかの“儀式”を使って自分との対話を毎日工夫している。

ふたつ目は、その強かな精神性を支えるため「生」と「死」という2つのエンジンを稼働させパワーを得るということである。

人間は生まれてから中年層までは「生」というエンジンからのパワーで躍動する。ところが中年以降になると、自ずと「生」のエンジン・パワーは低下して行く。鍵はその低下した分をどこから補うかである。自分との対話の中で「死」と向き合い“覚悟する”。これが精神的エネルギーを補給する。所謂、ハイブリッド・エンジンである。

「死」をもレバレッジする「強かさ」である。日本にはこの伝統がある。武士道の要諦を説いた「葉隠」の“武士道と云うは死ぬ事と見つけたり”という有名な一節がある。“死を見つめて、今を必死に生きる”この発想が中高年に求められてくる。