小泉劇場VS東国原シアター どっちが偉い? コミュニケーションリスクの視点から

都議選の結果は、自民惨敗であった。敗因はいろいろ取り沙汰されているが、東国原知事が”戦犯”扱いを受けている。その結果、古賀自民選対委員長が”東国原知事にアプローチしたのは「浅はかであった」と自壊、辞任する事態となる。一体、世間を騒がした”東国原騒動”は何であったのか。

都議選以前の話であるが、ある政治ジャーナリストに尋ねられたことがある。

古賀さんが東国原知事にアプローチして以来、自民党に関するテレビ露出が急激に増え、自民党がテレビ・ジャックしているような様相を呈している。2005年の郵政選挙の際の小泉総理が仕掛けた”刺客騒動”の時のテレビ露出を彷彿させる。これは民主党にとって不利ではないか。もっと民主党もテレビ露出を増やす努力をするべきでは、戦略コミュニケーションの視点からはどう評価するのか

確かに、”東国原騒動”によって自民はテレビ・ジャックに成功した。自民の露出が増えたという意味では”小泉刺客騒動”と状況は同じである。

しかしながら、今回の”東国原騒動”と”小泉刺客騒動”を比べると根本的な”違い”がある。それは露出の“意図”である。小泉刺客騒動には明確な”意図”が存在した。争点を設定するという小泉純一郎の”意図”である。選挙では、先に争点を設定した方が勝つ。

2005年の郵政解散の前、国民の関心はあくまで年金、医療、子育てにあった。郵政民営化に対する国民の関心は、これらの問題に比較すると低かった。民主党は、「もっと大事なことがある」という基本メッセージに基づいて、争点を”郵政民営化 or 年金・子育て”で設定していた。事実すべての調査は、国民が年金・子育てに最も関心を持っているという結果をはじき出していた。
小泉総理にとっては、いかに争点を”郵政民営化Yes or No”に持ち込めるかが勝負であった。彼は解散記者会見で”郵政民営化の是非を国民に直接問いたい”と名言を吐き、今回の選挙は”郵政選挙”であると明言、争点設定の先取りを企む。そして間髪を入れずに、郵政民営化反対の造反議員に対して”刺客”を送り込む。これによって小泉総理はテレビ・ジャックに成功する。すべての報道番組やワイド・ショーが

”自民の造反議員vs自民の刺客”

という構図を追っかけ、民主党の露出がまったく薄れてしまう。刺客報道が加熱すれば、するほど

”郵政民営化Yes or No”

という争点が浸透していく。民主党がいくら郵政民営化よりも年金・子育てと主張しても、”郵政民営化Yes or No”の構図の中で押し流されてしまう。これが小泉総理の”意図”である。

この視点から、今回の”東国原騒動”を見ると、そこにどのような”意図”があるのか。「露出を増やせば、自民への支持も上がる」といった趣旨を自民党の古賀選対委員長が述べたとのことだが、その言葉を借りれば、どうも自民の”意図”とは露出を増やし、自民への支持を上げるということであるらしい。これは自民の露出増=自民の支持アップと言った構図を想定している。

しかしながら、露出を上げるだけで、支持率が上がるなどと思うこと自体がコミュニケーション力学の原理原則を理解していないし、その恐ろしさを全く解していない。我々が生きている現代社会は露出が増えれば増える程にリスクが増える時代なのである。
言い換えれば、露出を増やせば、増やすほどより多くの人々が“勘違い”や“曲解”をするという世界なのである。重要なのは露出を増やすことではない。

露出によってどのようなメッセージが国民に伝わるかが肝心なのである。

意図したメッセージが伝わるように露出を増やすと同時に、それをコントロールすることがポイントなのである。小泉総理の”凄さ”は、”刺客騒動”によって自民の露出を増やすだけではなく、テレビを通じて”郵政民営化Yes or No”が争点であるというメッセージを国民に浸透させたことである。露出をしっかりとコントロールしているのである。そこには、強かな意図がある。

今回、自民党は”東国原騒動”によって自民の露出を増やすことには成功したが、その露出をコントロールする強かな意図が欠落している。結局、国民に伝わったメッセージは”形振り構わず、有名人を使って政権維持をはかりたい”というもので、政権維持のためには藁をも掴もうとする自民党の姿をさらけ出した格好になってしまった。これが自民党に対する支持率の低下につながっている。

では、もう一方の騒動の主役である東国原知事には“意図”はあったのか。確かに知事の露出が飛躍的に上がったのは事実である。とくに、地方分権というテーマの中で大阪府の橋下知事の存在感が日々増している中で、地方分権の旗頭としての東国原知事の存在を再び上げることには功を奏した。

もしこれが知事の“意図”であるならば、「総理候補にせよ」は失言である。この発言は露出をあげる効果はあったが、宮崎県民からの反発を招き、宮崎県知事に初当選して以来、知事が築いてきた全国レベルの“レピュテーション(reputation)”、つまり“評判”を大いに傷つける結果となった。東国原知事も露出のコントロールに失敗している。「コミュニケーションとは力だ」という認識がない。力である限り、それを使えば、必ずその反動が生じる。

自民党も東国原知事もコミュニケーションの力学を“甘く”見ている。コミュニケーション力学の視点からは「露出を増やすことは危険である」と認識すべきである。ましてや、「明確な意図がない露出は自殺行為だ」と思った方がよい。露出によって、どのようなメッセージを伝えたいのか、それが伝わったときにどのような効果が生じ、どのような反動は起こるのかを十分計算、吟味した上で露出を“仕掛ける”発想が戦略コミュニケーションの発想である。