国の立ち位置が危ない ~福沢諭吉の発想~

世界における日本の立ち位置が揺らいでいる。

2006年9月に安部内閣が発足してから、菅新総理が誕生するまでに総理が5人代わっている。主要先進国の中でもこれだけの頻度で国のトップが代わる国家も稀である。さらには、出来立てホヤホヤの管総理も今年7月に行われた参院選挙で参院での与党議席過半数を大幅に下回る結果となり、すでに首相退陣論が党内、野党から声高に叫ばれ、その渦中にある。
9月に予定されている民主党代表選挙の結果次第では、“管内閣2ヶ月で退陣”といった事態にもなりかねない。ワイドショー並みに“政局は面白い”などと言って脳天気に喜んでもいられない状況である。国のトップが頻繁に代わるという事実が問題であるという認識は国民も持っている。
事実、主要各紙の世論調査によると、参院選挙後の管内閣に対する支持率は下がっているが、一方で、管総理が辞任するべきかということになると、“やめるべきでない”が多数を占めている。

企業で例えるならば総理は日本国のトップ経営者である。企業でもトップである社長がコロコロ変われば、経営戦略の一貫性がないとうことで、周囲の“評判”(Reputation)を大いに下げる。
結果として、顧客や取引先を競争相手に取られる、投資家からの出資は退いていく、社員は辞めていく、事業が低迷する、株価暴落する、企業価値が大きく損なわれる、そして破産ということになる。
国は破産できないから、事態はもっと深刻である。特に国民にとっては“大迷惑”である。企業が破産しても、社員は転職できる。国が破産しても、国民はそう簡単には、他の国には転職できない。国の破産によって、もたらされる様々な“苦痛”を耐え凌ぐ意外に道はない。
そのものが、日本の国としての基本政策に対して“一貫性がない”ということを世界に印象づけてしまう。一度、そのような認識が広がってしまうと首脳会談などあらゆる外交交渉の場で相手にされなくなる。
首脳会談だけではない、あらゆる場で日本の国としての外交交渉力が弱まる。また、政策の一貫性に欠けるということは投資対象としての日本の不確実性が高まるということであり、投資先として日本は不安定であると世界が認識すると国内外の経済パワーがどんどん日本から逃げていく。グローバルでの競争優位が削がれるということでもある。

もっと深刻なのは、それは日本の世界における“立ち位置”が脆弱であることを意味する。この立ち位置の揺らぎが様々な外交の場でしっかりとした国の立ち位置をつくることは国益を守る上で非常に重要なことなのである。

この国の“立ち位置”の重要性をはじめに説いたのが福沢諭吉である。
その名著「学問のすすめ」において、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」とその冒頭で述べている。これは、「天は国の上に国を造らず国の下に国を造らず」言い換えることもできる。
当時の国際社会は弱肉強食の世界で欧米列強諸国は世界を縦横無尽に闊歩、近代化に乗り遅れたアジア諸国の植民地化を強力に推し進めていた。そこには“支配する国”と“支配される国”という上下の構造が出来つつあった。福沢はこの状況に危機感を覚える。近代化に向けて動き出した日本がどうやって欧米列強諸国と対等な関係を築けるかが福沢にとっての大きな課題であった。

つづく