立ち位置をつくる=ポジショニング(POSITIONING) ~実学のすすめ~
少し古いニュースになりますが、大型タッチパネルディスプレイを搭載した次世代の飲料自販機がJR品川駅に設置されました。
顧客属性(性別・年代)や気候、時間帯、環境などに応じて推奨商品が変わるスグレモノです。
http://www.jre-water.com/pdf/100810jisedai-jihanki.pdf
http://www.youtube.com/watch?v=S2hwnGrn3go
技術の進歩に驚くとともに「夕方になると売れ残り商品を自己判断で値下げする」スーパー自販機や、「深夜の泥酔客だけは料金が倍になる」ボッタクリ自販機などが登場するのも時間の問題、と勝手に想像を膨らませています。
冗談はさておき、次世代自販機の登場は、コミュニケーションに携わる者として非常に興味深いです。
飲料メーカーや自販機設置者の立場からすると、自販機搭載されている小型カメラとSuicaによって顧客データ分析の精度は一気に上がるはずです。
これらのデータは商品開発や在庫管理、デジタルサイネージの表示内容など多面的に活用されることでしょう。
一方で「飲み物まで自販機に指図される筋合いはない」、もっというと「ウザいから別の自販機で買う」と距離を置く利用者もいるかも知れません。
私自身、患者さんや社会一般の方々に嫌悪感を持たれずに、医療/健康情報をきちんと伝えることの難しさを日々痛感していますので、次世代自販機でどのようなメッセージが発信されるかすごく楽しみです。
単なる「飲料を買う機械」から「飲料に関するコミュニケーションツール」へと進化した自販機は、医療PRの企画立案の参考素材になると確信しています。「学問のすすめ」は明治5年その第一編が出版され、その後明治9年までに全十七編が世に紹介された。当時、160人に一人はこの「学問のすすめ」を読んだと言われるほど“古来稀有”の大ベストセラーであった。当時の殆どの日本人が手にしたと謂われている。それだけ、時代の要請に合致した内容のものであった。
その論旨は個人が「実学」を通じて実践の場で“役に立つ”、その結果として周囲との有意な関係性を築くこととなる。そして、その中から「独立自尊」の精神を培い、社会の中での自分の立ち位置を確立することの重要性を説いたものである。現代風に表現するならば、「ポジショニング(POSITIONING)」の指南書である。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
福沢諭吉の「学問のすすめ」の有名な冒頭の一節である。この一節は単に人間すべて平等ということだけを謳っている訳ではない。文明開化という近代化を支える仕組みを人と人との“関係性”の視点から言及したものである。
従来の封建社会では身分制度などによって人と人との交流が制約されていた。近代社会になってからは、人々は身分にとらわれず、自由に様々な人々と関係をつくっていくことができるようになった。そこにひとつの近代化への“秘密”が隠されていると福沢諭吉は考える。
福沢諭吉は“関係性”という尺度から近代日本の本質を洞察した明治人のひとりであった。近代社会を関係性の視点から考えた明治人がもう一人いる。夏目漱石である。
夏目漱石は近代の世になってから、ますます利害関係が錯綜、人間関係に悩む時代になったと認識する。
「智に働けば角が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。
兎角(とかく)に人の世は住みにくい。」
「草枕」の冒頭の言葉であるが、漱石の心情を表わしている。夏目漱石は近代社会は人間関係という「関係性」に煩わされる社会であり、“神経衰弱の元凶”であると考えた。それに対して、福沢諭吉はより積極的な視点から近代社会を捉えた。
文明開化という激動する時代、人は社会の中で自分の立ち位置を確立することによって大きくその才能を開花させることができると主張、人の才能開花があっての文明開化であることを説く。その中で人と人との関係、人と国との関係が大きく変わったのだと福沢諭吉は指摘する。この新たな関係性の中で人がその立ち位置をつくるためには“実学”の実践と“独立自尊”の精神の醸成であると主張した。
著作「民情一新」において福沢諭吉は語る。
「西洋諸国の文明開化は徳教にもあらず、文学にもあらず、又理論にも在らざるなり。然らば則ち何処に求めて可ならん。余を以って之を見れば其れ人民交通の便に在りと云はざるを得ず。」
この“人民交通の便”という表現が面白い。これは当然ながら交通手段の便利性を述べているものではない。人と人との関係性の在り方が西洋諸国の成功の秘密であることを福沢諭吉は指摘している。今様に表現すれば“人民交通の便”とは“コラボレーションの効果”とでも言うものなのかもしれない。コラボレーションとは「複数の立場や人によって行われる協力・連携・共同作業のこと、またその協力によって得られた成果」(三省堂)と定義されている。そこでは異なったスキル、技術、能力をもった様々な人材が関係性を構築して、成果をつくり出していくことである。そこには上下関係はない。
コラボレーションが成り立つためには、そこに参加している一人ひとりが明確なスキルなり、技術なり固有の力を持っていることが大前提である。参加者がそれぞれ自分の貢献できるところを十分認識していないとコラボレーションは起こらない。言い換えれば、一人ひとりが明確に“他のメンバーの役に立つ”という立ち位置を持っていることが必要となる。
福沢諭吉は、上下関係や身分の上下に関係なく、自分のスキルや技術によって他の人々とコラボレーションできることが近代社会の凄さの源泉であることを直観していた。
つづく
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