福沢諭吉「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」に学ぶコミュニケーション(コミュニケーション百景 第10回)
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
福沢諭吉の「学問のすすめ」の有名な冒頭の一節である。
この一節は単に人間すべて平等ということを謳っている訳ではない。
文明の進化、もっと端的に言うと文明の進化を支える物質的豊かさを実現する新しい「関係性」のあり方について言及したものである。
夏目漱石は近代社会の本質を「関係性」の視点から捉えた数少ない明治人のひとりであったが、もう一人、「関係性」という尺度から近代日本の本質を洞察した明治人が福沢諭吉であった。
夏目漱石がこの「関係性」を「呪縛」と捉え、“煩わしいもの”として考えたのに対して、福沢諭吉はより積極的な視点から考えた。
福沢諭吉はお馴染みの一万円札の顔である。
なぜ福沢諭吉が一万円札の表紙を飾ったかという背景については詳しくは知らないが、差し詰め、
「文明男子の目的は銭にある」
と表立って言い切って憚らなかった福沢諭吉の姿勢からきたものという推測もつく。
「文明男子の目的は銭にある」などは今時十分納得のいくことであり、昨今、「ホリエモン」騒動で七転八倒している自民党長老議員や放送業界、実業界のドン達などは福沢諭吉の爪の垢でも煎じて飲ませれば良い。
近代社会の最も大きな特徴は物質的、経済的豊かさを実現したことである。
その豊かさによって文明の進歩が支えられている。
「文明男子の目的は銭にある」という福沢諭吉の言葉は、このような文脈の中で語られたもので、文明男子たる者「文明進歩」の尖兵たれと発破をかけているのである。
近代とそれ以前の社会とを区別する最も大きな違いは物質的、経済的豊かさの飛躍的向上である。
これはふたつの社会的関係性の変化によってもたらされた。
「分業の関係性」と「競争の関係性」である。
この社会的関係性の変化が大幅な生産性の飛躍につながることを最初に指摘したのが、「国富論」で有名な経済学の祖であるアダム・スミスである。
「国富論」の中で、アダム・スミスは「分業」という「関係性」が生まれたことによって従来はギルドという職人組合によって特定の職人に独占されていた様々な商品の製造プロセスに職人でない普通の人でも参加できるようになり、製造の生産性を大幅に引き上げた。
一方、それらの商品が取引される「市場」は「自由競争」という「競争の関係性」が導入されたことによって経済資源配分の最適化が実現することを説いた。
この2つの「関係性」が起動するためには従来の封建的身分制度からの開放が必要であり、人々はその身分や出自にかかわらず、自ら社会との「関係性」を積極的に構築する時代に入ったことを意味した。
その「関係性」がヒト、モノ、カネ、情報という資源を動かし、様々な経済活動を生み出し物質的な豊かさを実現した。
そして、ヒト、モノ、カネ、情報という事業資源をより有効的に囲い込む「関係性」を創り上げた者が市場における競争関係で他を駆逐するといった世界が出現した。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
という一節は、このような時代認識の中で理解されるものである。(つづく)
*「コミュニケーション百景」。このシリーズのモットーは“コミュニケーションを24時間考える”です。寝ても覚めてもコミュニケーションを考えることを信条にしています。コミュニケーションでいろいろと思いつくことを書き綴っていきたいと思っています。
~~~~~~~~~~~~~~~筆者経歴~~~~~~~~~~~~~~~~~
田中 慎一
フライシュマン・ヒラード・ジャパン 代表取締役社長
1978年、本田技研工業入社。
83年よりワシントンDCに駐在、米国における政府議会対策、マスコミ対策を担当。1994年~97年にかけ、セガ・エンタープライズの海外事業展開を担当。1997年にフライシュマン・ヒラードに参画し日本オフィスを立ち上げ、代表取締役に就任。日本の戦略コミュニケーション・コンサルタントの第一人者。近著に「オバマ戦略のカラクリ」「破壊者の流儀 不確かな社会を生き抜く”したたかさ”を学ぶ 」(共にアスキー新書)がある。
☆twitterアカウント:@ShinTanaka☆