(コラム)コミュニケーションの視点から見た信長論3:信長を見る現代的視点

日本は変化の時代に突入しつつある。人々を取り巻く事象は目まぐるしく変化している。さらに、事象の変化の加速化に加え、目の前に多くの選択肢が提示され、どの選択肢を選べばよいのか迷う。ますます将来への方向性が見えにくくなってきている。事象変化の加速化、選択肢の多様化が混沌とした状況を生み出し、変化の時代を特徴づける。

不透明感が増す中で、多くの人々がその方向性を見失う、所謂、迷える子羊現象(ハザマ君現象)が起こる。しかしながら、この混沌とした状況は、一方ではこれまでなかった様々な機会を創出し、活気を醸し出す。機会とリスク、不安と活気、これら相反するものが混在しながら、新たなパラダイムへと社会全体がシフトする。

変化の時代にこそ、新たなパラダイムへとつなぐ役割を担ったリーダーシップが求められる。混沌とした中から方向性をしっかりと人々に示し、機会創出を巧みに捉え、新たな仕組みや価値を実現していくリーダーである。

日本の歴史上のリーダーとして、信長、秀吉、家康の三人がよく引き合いに出される。この三人は、特に戦後56年間、リーダーシップの手本として数多く取り上げられてきた。高度成長期の秀吉、安定成長期の家康、そして変革期の信長である。戦後56年のうち46年間は高度成長期(バブル期も含むが)、安定成長期であった。
つまり、変革期と呼べるのは1955年までの最初の10年である。
ところが、21世紀になって、日本はまさに戦後初めて本格的な変革期に入っていく。信長の出番である。

変革期のリーダーとして、信長は超人気者である。
信長の場合、秀吉や家康と違って、どちらかというとサラリーマンというよりは、経営者など指導的な立場の人々からの支持を強く得ている。秀吉や家康の多くの逸話が、組織の中で生き抜くための心構えを説くのに対して、信長のそれは事業展開における原理、原則を示唆したものが多く、日々、事業の成否と向き合っている経営者層の共感を得ているためである。

戦後の日本は世界にも類を見ない効率的な組織偏重の社会システムを構築し、高度成長、そして安定成長と比較的リニア(直線的)な成長軌道の中で経済的繁栄を達成してきた。そこに求められたリーダー性とは、あくまで確立された組織というフレームワークの中で、すでに決まった方向性に向けてヒト・モノ・カネ・情報などの資源を集中させることであった。

秀吉は、信長から引き継いだ高度成長路線の上をひたすら走りぬいた。逆に家康は、朝鮮出兵の失敗を機に社会の流れが安定成長路線へとシフトする中、徳川300年の礎を築いた。ともに、ある程度、確立された体制、組織の中でのリーダーシップの発揮である。
信長の出発は「ゼロ」からというよりも、マイナスからの出発であった。信長がまず手をつけなければならなかったことは、それまでの体制、組織を崩すことであった。
そして混沌とした中から方向性を示し、新たな路線を曳いたのである。

「信長」の生きた戦国時代とは、活気と不安、機会とリスクが混在した「先行き不透明」な闇の時代であった。その中を手探りで歩きながら、様々なジャンルで、自らの才覚を頼りに各々がリーダーシップを発揮、日本のルネッサンスとも例えられるような時代を演出した。今、日本が置かれている時代状況に酷似している。
グローバリゼーション、インターネットの普及、技術革新の加速化、情報開示の徹底、情報の分散化、縦型組織の限界、市場主義の浸透などの諸要因によって現在の加速化する変化の潮流は形成されている。
特に日本においては、戦後56年、日本の経済発展を支えてきた多くの仕組み(年功序列、終身雇用、系列、メイン・バンク・システム、企業グループ、行政指導などなど)が大きく変わろうとしている。

大航海時代という世界の流れの中で、日本は戦国時代を迎えた。室町幕府の体制の崩壊、下克上という階層の流動化、農業生産の飛躍的増大、貨幣経済の普及、商工業の発展、貿易の拡大など、戦国期は大きな変化のうねりの渦中にあった。信長はこの混沌とした世界の中から「天下布武」という明快なビジョンを打ち出し、そこにすべてのものを収束させていった。それによって、天下統一の流れをつくり、次の天下人である秀吉の高度成長路線へとつなげた。

実に、信長は1551年に家督を継いでから1582年に本能寺で倒れるまでの31年間で、この偉業を成している。信長は彼の持つ果断さと独創性によってこの大事業を達成したという見方がある。確かに、信長の特徴である即断即決、強烈な実行力、意表を突いた戦術、政策の考案とその実施など、戦国時代の他のリーダー達と比較しても秀逸である。

しかしながら、それが信長のリーダーシップの本質であると見る事は、信長の秘めたリーダーシップの凄みを見落とすことになる。
新しい経済政策として信長は楽市・楽座を導入したことは知られているが、これは信長の独創ではない。近隣の戦国大名である今川義元、斎藤道三、六角承禎などはすでにそれぞれの領国内で導入している。軍事革新といわれる兵農分離にしても、当時の戦国大名であるならば誰しも兵農分離を望んでいたはずである。合議制から単独採決制への決定メカニズムの移行もしかり。決して信長の独創ではない。
重要なことは、他の戦国大名ができなかったこれらの新たな仕組みを実際に現実化したことである。
例えば、兵農分離と単独採決制の確立を例に取ってみよう。
兵農分離を実施できたのは信長の果断さによるだけではない。果断さということでは武田信玄、上杉謙信、北条氏康なども信長の人後に落ちない。また、信長は「恐怖」や「畏敬」のみで人を動かし、兵農分離に駆り立てたわけでもない。

信長の凄さの本質は、人間に対する深い洞察をベースに、緻密に計算しつくされた様々な方法で人の意識を短期間で変革、より多くの人々の納得と支持を取り付けたことである。当時としては商業が発達していた尾張においても土地本位制が基本である。その中で人と土地を分離することの難しさはわれわれ現代人の想像をはるかに超えている。「恐怖」「畏敬」「果断さ」だけでは、実施する前にとっくに殺されている。また、信長が単独ですべてを決定するという意志決定メカニズムの確立も、並大抵のことでは済まされない。当時のどの戦国大名でも領内の有力国人層による合議制が当たり前である。武田信玄、上杉謙信、北条氏康、毛利元就などの他の有力戦国大名達は、譜代層や有力国人層の合議制というベースの上で、そのリーダーシップを発揮してきた。この前提条件を外すことは、リーダーシップの壊滅と死を意味した。人々に強いる部分はあるにせよ、やはり人々からの納得や支持を取りつけない限り不可能である。
1567年、美濃攻略から本能寺の変までの15年間、織田家は他を圧倒する急激な成長を達成した。信長が数多くの革新的なアイデアを実際に導入することによって、それを実現してきた。その背後には無数の利害を異にした人々から納得と支持を勝ち得て来た過程がある。信長は急激な意識変革によって15年という短い時間で、天下統一という方向に実際に社会を動かした。

信長は絶対的な専制君主というイメージが強い。誰もが思いつかないような独創的な方針を掲げて、有無を言わせず無理やり人々を引っ張っていくといった印象が一般的である。「人の話など聞く耳をもたぬ」とでも言ったところか。しかしながら、信長を中心に展開されてきた49年間にわたる数々の事象は、視点を変えるとその時代に生きた人々の意識の投影である。信長の事業は、地域的には日本の中心部をほとんど席捲し、天下統一1歩手前まで展開した。いくら信長が一人で頑張ったとしても、人々の意識が彼の方針についてこれなければ、これだけの偉業は達成できない。懸命に工夫を凝らし、人々の意識を自分の想いに引き寄せようと試行錯誤し、努力している信長の姿が垣間見える。命がけの工夫である。工夫しなければ、天下布武どころか滅ぼされている。そこには、今までのイメージとはまったく異なる信長像が姿を現す。この必死の工夫こそが信長の真骨頂であり、信長のリーダーシップの本質ではないだろうか。

信長は実に繊細、かつ大胆に物事を理解する。 人間に対しても同様に敏感に相手の気持ちの襞までも洞察し、タイミングを計って大鉈を振るうがごとく自分のメッセージを強烈に打ち込む。それも徹底的に打ち込む。
人間は基本的に「変化」を嫌う。
本田宗一郎はこの人間の本質を下記のように述べている。 「50万トン級の大型タンカーが曲がろうとして舵を切っても、曲がるまでには4~5 km進んでしまう。人間の思い込みや頭の構造は、もっともイナーシア(inertia:慣性)が大きい。1回位舵を切っても、方向など変わらない。くどいほど、言って、言って、時間をかけないと、変わらない」。信長もこの人間の意識の本質を見ぬいていた。

変化が激しい時代、ほっておけば人間の意識はどんどん変化に遅れをとっていく。気がついた時には、すでに社会全体が崖ぷっちに追いこまれている。そして、それらの人々の意識は、変化や革新への大きな抵抗となってリーダーの前に立ちはだかる。変革期のリーダーの役割は、抵抗を受けながらも人々の意識をどれだけ早く新しいパラダイムに順応させていくかである。それには、人々の意識に直接働きかけ、対決し、納得してもらうしかない。しかもそのための工夫に心血を注ぐことが求められる。それも限られた時間の中で…。 日本は次から次へと押し寄せる変化の波に、待ったなしの対応を迫られている。
変革期のリーダーシップの本質は意識変革である。「変化」という尺度で、現代と類似性をもつ戦国時代に生きた信長が、どのようなリーダーシップを発揮し、自らの想いを現実化していったのか。このことを意識変革という視点で考察していくことは、リーダーシップのあり方が問われている今日、大いなる示唆を与えてくれる。