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Year: 2008

  • (コラム)戦うコミュニケーションの発想の原点、世界最古の兵書「孫子」6:計篇(その三)

    「孫子」の戦略コミュニケーションの真骨頂、事象の変化を意識変化のレベルで捉える!  「孫子」は「天と地」、すなわち時間的変化と空間的変化という2つの視点から事象変化を分析する。「天」という表現を使って時間軸から変化を捉え、タイミングを謀ることを強調する。また「孫子」は「地」という表現を使って空間軸から変化を捉え、ポジショニングを謀ることを重視する。このタイミングとポジショニングを重視する姿勢の根底には、あらゆる事象の変化は人の意識に大きく影響するという基本的な考え方がある。周囲の事象変化が人の意識にどのような変化をもたらすかを計算し、タイミングとそのポジショニングを謀る。目に見える事象のレベルでのみ捉えるのでなく、目に見えない人の意識のレベルから変化を捉える発想こそ「孫子」の戦略コミュニケーションの真骨頂である。 選挙戦略の鍵、有権者の意識の変化を先取りする! コミュニケーション戦争と言われる選挙という“事業”においても、有権者の意識の変化を十分把握することが求められる。特に二大政党制的な枠組みにおいては、どちらの党が有権者の潜在的意識の変化を先取りできるかが勝利の是非を握る。潜在的な意識の変化とは潜在的なニーズの変化と言い換えても良い。潜在的ニーズの変化とはまだ有権者自身が意識していないニーズの変化である。有権者の潜在的ニーズの変化が“民意”である。この“民意”を先取りし、その“民意”が求めるビジョンと政策を打ち出すのが政党の役割であり、その“民意”の先取りを競争させるのが二大政党制の効用である。日本ではまだ二大政党制の枠組みができたのが民主党と自由党が合併し、政権選択選挙と位置づけた2003年の総選挙以降で、歴史がまだ浅い。二大政党制の大先輩であるアメリカやイギリスと比べると“民意”を先取りするための調査方法も不十分であり、努力不足が目立つ。アメリカでは、この“民意”を先取りするために、民主党と共和党はしのぎを削る。有権者の意識の変化を先取りする最も大きな目的は選挙戦を戦うための“土俵”設定である。そのために日本の政党が調査にかける費用の何十倍もの規模の有権者意識調査をアメリカでは実施する。この“土俵”のことをバトル・フィールド(Battle Field、戦場)と表現する。選挙戦においては、戦う“戦場”を何処に設定するか、しかも相手より先に設定することが選挙の勝敗を決定すると言っても過言ではない。 今回のアメリカ大統領選においてもオバマが圧勝した大きな理由のひとつは的確な“土俵”を先に設定したことによる。オバマの場合、その“土俵”とは“アメリカはひとつ”(United)、“変革”(Change)、そして”希望”(Hope, Yes, We Can Do)の三点盛から成る。オバマの土俵設定の特徴は、まず未来視点(希望:Hope)から現在を見る。そして現在何をしなければならないかを明確にする(変革:Change)。最後に国民に対して覚悟を催す(アメリカはひとつになる覚悟)。オバマの設定した“土俵”は選挙キャンペーン中、変わることはなく、すべてのメッセージがこの“土俵”から発信された。一方のマケインはオバマの“土俵”に対抗できるだけの土俵設定ができなかった。選挙キャンペーン開始当初から、マケインは“自分はブッシュとは違う”ということを主張続けざるを得なかった。また、経験が未知数であるオバマに対しては“自らの豊富な経験”をアピールするだけで、これと言った決め手に欠けた。オバマの“土俵”設定の凄さは、彼の3大弱点である無名、黒人、未経験を逆手に取り、それらを強みに変えたことである。そのためには未来視点から現在を意味づけることが必要になる。過去視点に立った“経験”とか“実績”というものを無力化する土俵設定が求められる。過去の延長線上では“Changeできない”という論法を敷くことになる。こうなると過去の実績や経験をもったマケインの立ち位置は弱体化する。マケインがブッシュ共和党とは違うと躍起になれば成る程、国民はマケインの“後ろめたさ”を感じる。オバマに対して経験でマケインが勝負すればする程に、国民はマケインを過去の人と見る。国民に対して、未知数は多いが未来視点に立ったオバマを選ぶか、経験・実績はあるが過去視点に立ったマケインを選ぶか、の二者択一の構図に追い込んだことがオバマの勝利を呼び込んだ。 日本の政党は、従来からどの党に投票するかと言った投票行動調査は実施しているが、有権者の潜在的な意識の変化を先取りするような調査は行ってこなかった。結果として選挙戦を戦う上での“土俵”設定はかなりいい加減で、科学的な論拠が乏しかった。国民の意識の変化を調べる調査を初めて試みたのが民主党である。2003年の衆院選において、国政選挙に初めて価値観分析に基づいた有権者意識調査を実施した。日本では従来、属性分析を中心の意識調査が行われてきた。その背景は日本が属性(外見から分かる特徴、例えば男性と女性、年代、サラリーマンと自営業、所得水準などなど)と価値観が比較的一対一の対応関係にあったことがあげられる。年齢別、性別、職業別によってひとつの価値観が共有化されていた。ところが価値観の多様化によって、この属性と価値観の一対一の対応関係が近年とみに崩れてきた。同じ世代間でも、性別間でも、職業間でも異なる価値観をもつ人々が増えてきた。もはや日本においては属性でクラスター分けしてもあまり意味を成さなくなってきた。属性でなく価値観で有権者をクラスター分けすることが必要となってきた。アメリカの選挙戦では、この価値観分析が主流である。価値観で相手をグループ化していくことによって属性分析では“見えない”国民の意識の変化が可視化できる。 この見えない人の意識の変化を可視化、分析することによってどのような“土俵”設定が有効かということが浮かび上がってくる。...

  • (コラム)戦うコミュニケーションの発想の原点、世界最古の兵書「孫子」5:計篇(その二)

    「五事七計」の妙力、「天」と「地」とは? いつ戦うか、どこで戦うか、によって戦いの勝敗は大きく左右される。どのタイミングで、どこで戦うのが一番有利かをあらかじめ想定することは戦いの勝率を上げるためには不可欠である。ここで言う「天」とは「陰陽・寒暑・時制なり。順逆・兵勝なり。」とある。 「陰陽」は日かげと日なた、「寒暑」は気温の寒い暑い、「時制」は四季の推移、「順逆・兵勝なり」とは天の動きに従順な兵は勝つ、天の動きに従順でない兵は負けるといった意味らしい。要は戦いにおけるタイミングの重要性を説いている。「孫子」の中ではあくまで自然現象の移り変わりの中で最も戦うに適切なタイミングを謀ることを述べているが、必ずしも、自然現象に限定する必要はない。現代社会では人為的な現象の移り変わりの方が事業の遂行に大きく影響してくる。経済、政治、社会動向などが激しく変化する中で事業遂行という“総力戦”に打って出るタイミングをどう謀るかは重要課題である。特に様々な社会事象の変化は人々の意識に影響する。人の意識は移り変わるため、同じメッセージでもタイミングが違うと異なった意味合いでメッセージが伝わってしまう。ステークホルダーの意識の推移をしっかりと把握する。そして発信するメッセージがどのような意味合いで受け取られるかを綿密に確認する。これが事業遂行のタイミングを謀る上で重要なポイントとなる。 「地」とは「高下・広狭・遠近・険易・死生なり。」とある。「高下」は地形の高い低い、「広狭」は戦場の広い狭い、「遠近」は距離の遠い近い、「険易」は地形の険しさ平易さ、「死生」は軍を敗死させる地勢と生存させる地勢とある。要は戦場におけるポジショニングの重要性を説いている。「孫子」の中では戦場の地形の中で戦いに有利な位置(ポジションイング)をまず確保することの重要性を述べている。それは単に地理的優位性を確保するということにとどまらず、戦場における地理的な位置が将兵の意識に大きく影響することを計算、それを活用するといった発想もある。「背水の陣」という戦法がある。川に背を向けて敵と対陣する戦法である。この戦法では地理的優位性を求めていない。背後が水ということで、将兵の逃げ道をあえて塞ぐことによって将兵の覚悟を促し、戦意を高める戦法である。地理的な状況を活用、将兵の意識を戦いに追い込む工夫である。 “世論”という地形、世論支持の確保と形成を仕掛けよ! 現代社会においては“世論”という“地形”が事業遂行に大きく影響を及ぼす。あらゆる事業は大なり小なり、この“世論”の影響を受ける。“世論”の支持なしには事業実現は難しくなってきている。“世論”の支持を得られるように事業をポジショニングすることが極めて重要に成ってきた。また、世論の支持を確保するだけでなく、世論形成を逆に仕掛けることによって、事業実現のスピードに加速をつける。すなわち“世論”を利用して事業実現のためにステークホルダーの意識と行動を動かす。“世論”とは一種の社会的な思い込みである。国論のような大きなものもあれば、井戸端会議で生まれてくるような口コミ世論もある。特にインターネットの普及によって、従来のようにマスコミを通じない世論形成が身近なところで竜巻のように日常茶飯事に起こっている。世論とはある視点や想い、感情に対する一種の“思い込み”のような顕在化した集合意識である。英語ではPublic Opinionと表現されている。一方でまだ顕在化されていない集合意識もある。はっきりとした視点、想い、感情ではないが、潜在的に何かを“感じている”という意識である。これから顕在する可能性をもった世論の予備軍である。広義な意味で“世論”に加えてもよい。この広義の“世論”が様々に生起して一種の社会的な集合意識の地形(意識マップ)のようなものを形成する。顕在化したもの、潜在化しているもの、広く行き渡ったもの、限定されたもの、身近でないもの、身近なもの、乗り越えがたいもの、乗り越え易いものというようにその形状は様々である。この社会的な集合意識の地形の形状を把握した上で、“世論”の支持を得られる優位性のあるポジショニングを綿密に謀る。また必要に応じて“世論”を創り出す。“世論”支持の確保と形成を仕掛ける。“世論”のレバレッジを効かせて事業遂行のために多様なステークホルダーを動かす。戦略コミュニケーションの発想である。...

  • (コラム)戦うコミュニケーションの発想の原点、世界最古の兵書「孫子」4:計篇(その一)

    計篇 孫子曰く、兵とは国の大事なり。死生の地、存亡の道は、察せざる可からずるなり。故に之を経るに五を以てし、之を効らかいにするに計を以てし、以て其の情を索む。 一に曰く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く将、五に曰く法。道とは民をして上と意を同じゅうせ令むる者なり。故に之を死す可く、之れと生く可くして、民は詭わざるなり。 天とは、陰陽・寒暑・時制なり、順逆・兵勝なり。地とは、高下・広狭・遠近・険易・死生なり。将とは、智・信・仁・勇・厳なり。法とは、曲制・官道・主用なり。 凡そ此の五者は、将は聞かざること莫きも、之れを知る者は勝ち、知らざる者は勝たず。故に之れを効らきあにするに計を以てし、以て其の情を索む。 曰く、主は孰れか賢なる、将は孰れか能なる、天地は孰れか得たる、法令は孰れか行なわる、兵衆は孰れか強き、士卒は孰れか練いたる、賞罰は孰れか明らかなると。吾れ此を以て勝負を知る。   総力戦の発想、あらゆる意識を動かす!  この章はまず「兵とは国の大事なり」から始まる。「兵」とは戦争を意味する。戦争とは国の存亡をかけた重大事であることを説いている。戦争というものが最早戦場で戦う将兵だけでなく全人民を巻き込んだものであるという総力戦の発想である。負ければ全人民が犠牲となり、国が滅ぶ。十分な準備と覚悟なく戦ってはいけないというメッセージである。戦争とは国の存亡と人民の人命をかけた一大事業である。様々な利害関係をもった人々の意識を戦争という事業に駆り立てる一大プロジェクトである。様々なステークホルダー(利害関係者)の意識に働きかける戦略コミュニケーションがプロジェクト成功の成否を握る。企業も国も、あらゆる組織が様々な“事業”を抱えている。新事業への進出、既存事業からの撤退、新商品の発売、欠陥商品への対応、組織変革、企業統合、政策実現、通商問題解決、外交戦略の確立、政権交代、環境保全、安全の確保、人権の獲得、国家の独立、技術革新、など様々である。これらの事業を実現させるという事は、企業であれ、国であれ、その他の組織であれ、ある意味、組織をあげての“総力戦”である。その事業実現に向けて利害関係をもつ多くの“人の意識”を動かすということである。 「五事七計」の妙力、まず「道」とは? 「孫子」はこの総力戦を開始するにあたっては「五事七計」という5つの基本的事項の確認と7つの尺度からの分析を十二分に検討することを強調している。「五事七計」とは、「一に曰く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く将、五に曰く法」である。「道」とは上下の意識が総力戦を戦うということで一致しているか。言い換えれば、総力戦を始めようとしている統治者に対して民衆が支持しているかということである。総力戦は民衆全体を兵士として、兵站要員として、戦費を稼ぐための労働力として、総動員する。民衆の強い支持があって初めて民衆を動かすことができる。戦争をするならば、まず“隗より始めよ”(身近なところから始める、身内から始める)である。“民衆の支持のない戦争は始めるな”である。人間の意識を囲い込む際は“まず身内から”というのが戦略コミュニケーションの原理・原則である。そしてそこには納得のいく大儀名分が必要となる。しっかりとした大儀名分があってはじめて人々の意識を囲い込み、戦争へと駆り立てることができる。 一に曰く道、ます社内より始めよ!ブランド構築の基本 これは企業や商品のブランドを構築するプロセスと共通する。とかくブランドをつくると言うと、派手に宣伝・広告・コマーシャルと外向けにメッセージを発信、企業や商品の認知(Visibility)をあげることと理解されている。ところがブランドとは単に認知(Visibility)だけの問題ではない。その企業や商品が提供している“価値”に対して納得しているという信頼(Credibility)が確立されて初めて、企業はその活動への支持を獲得でき、商品を顧客は購買する。信頼(Credibility)を確立するにはマスメデイアで一方方向的に喧伝してもだめである。人々が企業や商品が提供する“価値”を“認知する”だけでなく“実感する”することが必要不可欠となる。そうなると日々、それらの“価値”を実際に提供している社員の意識のあり方が重要になってくる。社員が企業や商品が提供する“価値”を十分納得しているという意識付けが肝要となる。企業が提供するブランド価値に対して社員がそれを理解するだけでなく、それを受け入れ、それを行動として支持・コミットするといった意識付けがブランド構築という一大事業を開始するにあたってまず求められる。企業はまず最も身近なステークホルダーである社員の意識を囲い込む。そして企業が取り巻く様々なステークホルダーに対して社員が日常の活動の中でそのブランド・メッセージを直接発信する。これが、他のステークホルダーに対する信頼(Credibility)醸成の第一歩である。それには企業が提供する“価値”をミッション(Mission)として、ビジョン(Vision)として、事業戦略として、しっかりとメッセージ化することが必要となる。そしてそのメッセージをあらゆるチャネルを通じて社員に伝達、その意識への浸透をはかる。まず社内を固める。これがブランド構築という一大“総力戦”を戦うための最も重要な準備である。    ...

  • (コラム)戦うコミュニケーションの発想の原点、世界最古の兵書「孫子」3:戦うコミュニケーションの本質 “人間の意識を囲い込め! (後編)

    目の前にいない多くの相手の意識を囲い込む、メッセージ戦争開始! 春秋時代末期、戦国時代に起こった戦争形態の構造変化にはもうひとつの側面があった。 限定戦から総力戦へのシフトである。春秋時代の戦争は前述したように「専門家による、専門家のための、専門家の」戦いであった。限定された地域での、限定された時間での、限定された専門戦士同士の戦いであった。ところが歩兵部隊を主力とする軍隊編成の出現によって、地理的な条件にあまり制約されず、遠国まで遠征することができるようになる。そうなると大部隊を遠い異国の地まで派遣するため兵站の充実が必要となる。更には、その兵站を支える本国の経済力の有無が戦争の勝敗に大きく影響してくる。まさに総力戦の様相を呈してくる。こうなると戦争に関わる人々の数が急激に増える。今までは戦場にいる敵・味方の兵士だけであったのが、兵站を司る要員、更には本国で経済を支えている一般人民、直接、戦争には関わっていないが周辺の諸侯・国など、今様で言うステークホルダー(利害関係者)が急速に多様化する。戦場にいる敵味方の将兵の意識だけではなく、より多くの関係者の意識を相手にしなければならなくなる。しかも、関係者が増えるということは利害関係が複雑に錯綜し易く、敵・味方と白黒がはっきりした構図は消え、状況によっては味方になったり、敵に靡いたりその意識は移ろい易くなる。言い換えれば、ステークホルダー(利害関係者)との関係性が絶えず流動化する事態に直面する。味方であったのが突然敵に豹変する。逆に敵であったのが味方に変貌する。そうなると戦いに勝つためには、戦場にいる味方の兵士の士気を高め、敵の兵士の戦意を挫くだけでは十分ではない。その戦力を後方で支えている様々なステークホルダーの意識を囲い込み、その支持を取り付け、その関係性を安定にする。一方で敵の戦力を後方で支えているステークホルダーの意識を揺さぶり、その支持を脆弱化させ、戦場にいる敵との関係性を流動化する。更には、友邦国との関係を強化すると同時に、敵とその友邦国との関係性を脆弱化させ、敵から切り離す。目前の戦場にはいない様々な利害関係をもつ相手に的確なメッセージを次々に発信していくことが戦いに勝つための鍵を握ることになる。勝敗は最早、戦場ではなく、目前の戦場にいない相手の意識を囲い込むため敵・味方双方がどうメッセージ戦を戦うかに軸足が移っていく。まさに戦うコミュニケーションの発想である。春秋時代末期に起こったこの戦争形態の構造変化が「孫子」というコミュニケーション力学に立脚した世界最古の兵書を生み出す。 「孫子」の本質は関係性のマネジメント  戦争は事象的には物理的な軍事力の衝突であるが、本質的には敵・味方双方の意識の衝突である。勝敗は兵を攻めることではなく、意識を攻めることによって決まる。 勝敗に影響するあらゆるステークホルダーの意識をどれだけ囲い込めるかが勝敗の明暗を分ける。相手の意識を囲い込むとは、相手との関係性を安定にすることである。コミュニケーションの力によって戦争に関係する様々な相手の意識を囲い込み、揺さぶり、そして動かす。戦うコミュニケーションの発想によって敵・味方、やその他多くの相手と戦略的な関係性を構築、それをテコに戦争を勝利に導く。言い換えれば関係性のマネジメントによって戦いに勝つことを説いたのが「孫子」と言える。これが「孫子」の本質である。21世紀に生きるすべてのリーダーにとって最大の課題は人間の意識の壁である。あらゆる変革を行う上で最大の敵は本質的に変化を嫌う人間の意識の硬直性である。孫子」は戦争に関わるあらゆる相手との関係性のマネジメントを説いた兵書である。ここに「孫子」を読み解く現代的意味がある。...

  • (コラム)戦うコミュニケーションの発想の原点、世界最古の兵書「孫子」2:戦うコミュニケーションの本質 “人間の意識を囲い込め! (前編)

    「専門家による、専門家のための、専門家の」戦い  戦争という国の存亡をかけた大事業を遂行する上で、コミュニケーションが重要な役割を持つという認識は「孫子」から始まる。「孫子」はコミュニケーションの力の活用をすべての戦略の組み立ての根底に置く。その背景を理解するには、「孫子」が生まれた時代に起こった戦争の構造変革を知る必要がある。「孫子」は中国の春秋時代末期(紀元前5世紀末)、呉の国の将軍を務めた孫武の作とする見方が強い。春秋時代の戦争は平原で展開された戦車戦が中心であった。戦車とは数頭の馬によって引かれた、御者と戦士が乗った戦闘用の車である。それらが百台、千台の数でぶつかり合うのが当時の一般的な戦争の形態であった。言うなれば「専門家による、専門家のための、専門家の」戦いであった。兵士は名誉を重んずる身分のある選ばれた戦士から成り、戦車を操る戦いの専門家たちであった。戦いもお互いが対陣の準備が整ってから開始された。相手の準備ができないうちに攻めることはご法度であった。戦いが始まれば、個々の戦士は自分の技量をフルに発揮、目の前の敵と戦うだけで、将軍からの指示も必要なく、全体戦略との連動もあまり関係がない。指揮官が捕虜になったり、敵に背を向けて敗走したりすると勝敗が決したものと判定され、それ以上は敗者を攻めない。戦いも一回の会戦の中で限定されていた。軍を率いる将軍は存在したが、専門の官職ではなく、身分の高い王侯、卿、大夫などの中から君主が随時任命、しかも軍を直接指揮するというよりは象徴的な存在であった。象徴を敵に取られたら負けといったチェスでいうキングか将棋の王将の駒のようなものであった。そこには戦いの“しきたり”があり、それを前提に玄人(くろうと)集団の中で戦いが完結されていた。人民も巻き込んだ国をあげての“何でも有り”の総力戦といった発想はなかった。 定型化した“まじめ”な戦いから不定型な“騙し”の戦いへ  ところが紀元前585年に揚子江下流域に居住する呉人によって建国された呉がこの戦いの構造を変えた。前述したように平原での戦争は戦車戦が中心で、歩兵は補助的な役割しか担わなかった。ところが呉は蛮蝦の出身であり、当時、中国の先進地域であった黄河流域の中原文化圏からは離れたところに位置していた。そのため、戦車のような先進的な武器とはもともと無縁であった。更には揚子江下流の水沢・湖沼地帯という呉の地理的条件によって軍隊構成は戦車ではなく、その主力は歩兵部隊であった。特に、呉は中原文化圏と違い、封建制による身分制度の確立が遅れていた。そのことが幸いし、戦士を調達する場合、身分的制約に囚われずに、一般の人民から戦士を募り構成することができた。これは大規模な歩兵部隊を編成することを可能にするだけではなく、戦車のように地形の制約を受けない、歩兵という融通無碍に展開できる兵力をもつことを意味する。戦車戦のような定型化され戦いに慣れていた中原の先進諸国は、呉が繰り出す自由自在にその動きや形を変化させる歩兵部隊によって翻弄される。それまでの戦車戦を中心とした様々な“しきたり”や“ルール”が前提となっている戦いにおいては、相手を騙して誘導するとか、相手の不意をつくとか、言った発想はない。ところが、兵力が歩兵中心となると戦いの形態は様変わりする。地形の制約から自由であるだけでなく、敵から姿を隠したり、密かに敵に近づき奇襲をかけたり、今までの定型化した“まじめ”な戦いでは考えられないような“騙し”の戦いへと変貌する。 敵を欺き、味方の戦意を上げるコミュニケーションの力 戦国時代になるとこの傾向は更に強まる。戦いのポイントが個々の戦士の戦う技量から、部隊全体が一体となって敵を“騙す”動きをとり、相手の不意を衝いて勝つ戦術へとシフトする。言い換えれば、戦い全体を見据えた戦略とそれに連動した部隊の動きが勝敗を決するようになる。そうなると、今まで象徴であり、飾りのような存在であった将軍の役割が見直されてくる。部隊全体を手足のごとく自由自在に動かし、敵を欺き、勝利を確実にする司令塔としての能力が将軍に求められてきた。「孫子」ではこの新たな将軍の役割、能力、心構えなどが懇切丁寧に説かれているが、その根底にはコミュニケーションの原理・原則に従って、敵の将軍や兵士の動きを思い通りに操るという考え方がある。一方、自分の傘下の部隊構成を見ると、従来の専門戦士ではなく、人民から召集した“素人集団”である。この“素人集団”から成る部隊を強力な戦闘集団に仕立て、自由自在に動かすためのしっかりとした意識付けの作業が重要性を増してくる。1対1の戦闘では専門戦士には敵わないが、集団戦では勝てるという体制を作り上げる仕事が将軍の責務となった。「孫子」は敵以上に味方の意識のあり方に詳細な気配りをする。性悪説を前提とした人間観をベースに、兵士の意識を如何にコントロールするかに腐心している。ここでもコミュニケーションの原理・原則に則った兵士の意識の囲い込みの工夫が説かれている。このように敵を欺き、味方の戦意を上げるためにはコミュニケーションの力を駆使することが必要だという認識が高まった。...

  • 戦うコミュニケーションの発想の原点、世界(コラム)(コラム)最古の兵書「孫子」1:戦うコミュニケーションの発想から「孫子」を切る

      意識 VS 意識 の戦い、コミュニケーションの力本領発揮!  コミュニケーションという行為はもともと「戦う」という行為と密接な関係にある。 「戦う」という行為には様々なものがあるが、その最たるものが武力と武力が真っ向からぶつかり合う「戦争」である。戦場で働く「力」は必ずしも武力とは限らない。所詮、「人」対「人」の戦いである。実際に戦場に投入された敵味方双方の将兵や兵士の心理や意識のあり方がその持てる武力以上に戦争の勝敗を決定する。俗に言う心理戦争がモノを言う。人類は有史以来、コミュニケーションを人の心理や意識に影響する力と認識、この「心理戦争」を戦うためにコミュニケーションの力を大いに行使してきた。   戦場においてコミュニケーションがその力を発揮するプロセスは極めて明快である。 敵に対してメッセージを撃ち込むことによって相手の心理や意識に働きかけ、味方が戦場において優位なポジショニングを築けるように相手の行動を誘導する。また、メッセージとはミサイルのようなもので、敵側から撃ち込まれてくるメッセージに対しては、迎撃用のメッセージで応戦、味方側の心理や意識への敵側からの影響を阻止する。このように攻撃用メッセージ、迎撃用メッセージを撃ち合う中で、敵の行動を誘導したり、牽制したりしながら徐々に味方に有利な状況を創り出していく。味方に優位なポジショニングを謀った上で敵に対して最終的に武力攻撃を仕掛ける。戦場においては双方の「武力」対「武力」の構図と同時に優位なポジショニングの確保を競うための目に見えない「意識」対「意識」の戦いの構図がある。実際の攻守を争う戦闘という事象の背後には敵の意識を攻撃する、味方の意識を守るという敵味方双方のコミュニケーション力のぶつかり合いがある。   戦うコミュニケーションの本質は優位なポジショニングの確立   この戦うコミュニケーションの発想は何も戦争の場だけのものではない。ビジネスや政治の最前線などあらゆる社会的活動の現場で展開されている。選挙などその最たるものである。選挙戦などは武力は使わないが、メッセージというミサイルを打ち合いながら、有権者の票の獲得を競うコミュニケーション戦争である。戦うコミュニケーションの本質は優位なポジショニングの確立である。それをテコに相手の行動を牽制、あるいは相手の支持を取り付けるなど相手を動かすことができる。その優越が「勝ち組」、「負け組」を決める。グローバリゼーションが加速する中で、政治、経済、社会のあらゆる分野において多様な競争者が出現、乱立する大競争時代に突入する。企業も国も個人も勝ち抜くための優位なポジショニングをどう確立していくかが大きな課題となる。戦うコミュニケーションに対する理解を深め、その力をフルに発揮する発想を持つことがますます必要となる時代になる。 「孫子」は戦うコミュニケーションの発想を明確に打ち出した古典  実際の戦争の戦略・戦術を説いた兵法書をコミュニケーションの視点から読み解くことは戦うコミュニケーションの発想を培うためには有効である。世に兵法書というと西の「戦争論」(クラウゼビッツ)と東の「孫子」と並び称されている。しかし、やはり最古の兵法書である「孫子」が群を抜いている。「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり。」とコミュニケーションの力で相手を屈することが最善の策であると説いている。まさに「孫子」は戦うコミュニケーションの発想を明確に打ち出した古典なのである。「孫子」は中国の春秋時代末期、紀元前五世紀中ごろの書とされている。その内容は「計」、「作戦」、「謀攻」、「形」、「勢」、「虚実」、「軍争」、「九変」、「行軍」、「地形」、「火攻」、「用間」、「九地」と全部で十三篇からなる。初めの三篇である「計」、「作戦」、「謀攻」が総説とされ、四篇から各論に入る。「孫子」は今までに多くの専門家が軍事戦略・戦術面だけでなく、企業の戦略・戦術面での分析や考察を加えている。また、人生の処世術的な視点からも多く取り上げられている。しかしながらコミュニケーションという視点から取り上げられている例は殆ど皆無である。しかしながら、「孫子」を読み進めていくと、その殆どの内容がコミュニケーションを力として如何に行使するかを説いており、「戦うコミュニケーション」の原点となる本であると言える。 「孫子」の4つの特徴  戦うコミュニケーションの発想から「孫子」を読み解くと4つの特徴が指摘できる。 「戦わずして勝つ」を基本理念としており、武力衝突をなるべく回避するという強い姿勢を貫いている。武力の行使を最小化するということは、言い換えればコミュニケーション力をフルに活用するということである。コミュニケーション力を駆使、味方の戦意を高揚、敵の戦意を喪失させ、「戦わずして勝つ」を実践することを最重要課題と位置づけている。まさに「孫子」は戦うコミュニケーションの本質を説いた兵法書であると言える。 精緻な現実観察を通じて「敵を知る」ことが戦う前に勝負を知る上で重要であることを説く。これは現実観察を徹底することによって敵を知り、武力に頼らず敵を屈することに腐心するという「戦わずして勝つ」という基本理念とも一致している。また敵を知ることと同時に味方を知ることが重要であることが指摘されている。勝つためには敵・味方に留まらず、多様な「相手を認識する」ことが一貫して強調されている。コミュニケーションはまず相手を認識するところから始まる。多様な相手をどれだけ的確に認識できるかが、コミュニケーション力の優越を決める。「孫子」は相手を認識するというコミュニケーション力を使い切る上での基本を徹底して説いた兵法書であると言える。 戦場で敵に対して主導性を絶えず発揮することが強調されている。これは自分の敷いた土俵の上で敵と戦うことを意味する。こちらが作った土俵である全体戦略の枠組みの中に敵を引き入れ、その中で敵を追い詰めていくという発想である。コミュニケーションにおいても基本メッセージという土俵がある。この基本メッセージという土俵の上で相手と対話することがコミュニケーション力発揮の要諦である。「こちらの土俵の上で相手を転がす」という大原則は実際の戦争だけではなく、あらゆるコミュニケーションの戦いにおいて適用されるものである。 人間観として徹底した性悪説を貫いている。戦場におけるコミュニケーションの本質は敵、味方を含めたすべての関係者の意識を囲い込むための争奪戦である。そこでは性善説では弱い。性悪説を前提にした“ぎりぎり”の工夫が求められる。性善説に基づいた人間観ではコミュニケーションの本当のパワーを発揮することは難しい。 性悪説が戦うコミュニケーションの基本 日本のコミュニケーションの弱さは、その根底に性善説にある。今や政治も、外交も、ビジネスも性悪説に基づいたコミュニケーションが世界標準になりつつある。日本のコミュニケーションの根底に性悪説を導入することが、今後求められてくる。特にコミュニケーションを戦う力として使い切るためには、性悪説を前提とした人間観をもつことが必要不可欠である。日本は政治、外交、ビジネスにおいて、更には個人の世界においても今後グローバルな人材競争に晒される中、自らを戦うコミュニケーションの発想で武装することが強く求められる時代になる。「孫子」という世界最古の兵書をコミュニケーションの視点で読み解く現代的な意味がここにある。...

  • (コラム)小泉純一郎の戦略コミュニケーションの本質5:世界では通用しない小泉流メッセージ力学

    メッセージ発信には相手がいる。メッセージ性の高い人はかならず、相手を明確に認識している。獲物を狙う豹のように。その特定した相手に対して、一貫したメッセージを繰り返し、繰り返し、あらゆる方向から撃ち込む。相手を特定すればするほどメッセージはぶれない。メッセージがぶれなければ、相手の意識と行動により大きな影響を与えられる。相手を変えたり、増やしたりするとメッセージはぶれる。歯切れが悪くなる。玉虫色の発言が目立ってくる。ある相手にとっては良いメッセージでも別の相手にとっては必ずしも良いとは限らない。小泉純一郎のメッセージはぶれない。白黒がはっきりしている。はっきりさせたくないときは第三者的な解説調でかわす。ひとつひとつのメッセージがどのような影響を意中の相手に与えるかを綿密に計算している。小泉メッセージの一貫性はこの意中の相手を6年間変えなかったことである。その意中の相手とは誰か。小泉純一郎には二人の相手がいる。一人は国民である。国民に向けて発信するというスタンスを小泉純一郎は固守する。その目的は支持の獲得である。しかし本当の相手は「永田町」そのものである。自民党守旧派であり、民主党を中心とする野党であり、永田町と表裏一体の関係にある霞ヶ関官僚組織である。まさに「敵は本能寺ならぬ永田町」である。その目的は牽制である。小泉流メッセージ力学の基本構図は国民の支持を獲得、その支持を楯に「永田町」を牽制する。小泉は永田町政治力学打破への執念が強い。ある意味では永田町政治力学に対する挑戦者である。世論の支持をテコに永田町を小泉は6年間揺さぶり続けた。その結果、世論の支持の有無が永田町の力学に今まで以上に大きな影響をもつようになってきた。 しかし、相手がぶれないということは、弱点にもなる。とくに外交では相手は世界である。 北朝鮮への2回にわたる電撃訪問、徹底した米国ブッシュ政権重視、イラクへの自衛隊派遣、など小泉外交は従来と比べるとかなり派手である。しかしながらコミュニケーション力学の視点から見ると相手不在である。相手が見えない。相手は北朝鮮でも、米国でも、イラクでもない。すべてが国内に向けてのメッセージ発信に腐心しているという印象を受ける。やはり、小泉メッセージの相手は国民と「永田町」である。ここはぶれない。あくまで国民の支持獲得と「永田町」への牽制が目的である。 外交とはある意味、武力を使わない戦争である。戦争である限り、目的があり、それは国益の実現である。そのために相手国を動かす。軍事力、経済力によって相手国の利害に直接働きかける方法と国際世論を醸成、城の堀を埋めるように相手国を追い込んでいくという二つのやり方がある。イソップ寓話の北風と太陽の話である。武力や経済力の行使は北風であり、国際世論の醸成は太陽である。この二つの方法をどのように有機的に組み合わせるかが外交の“妙”である。歴史を少し遡るが、日本は日露戦争のとき見事に“妙”なる外交政策を打った。日露戦争は単に軍事力によって日本が勝利を納めたものではない。日露の軍事衝突の背後には、用意周到な外交政策があった。日本はロシアと戦いながら、一方で、欧米や他のアジア諸国の支持を取りつけるための外交努力に腐心していた。国際世論の支持の獲得することが莫大な戦費を賄うためには不可欠であった。欧米からの資金調達ができるかどうかが日本の命運を握っていた。また国際世論の支持獲得はロシアの国際的孤立を加速させ、さらにはロシア国内の反動勢力であったレーニン率いる共産党の反政府活動を活性化した。すでに軍事力の限界にきていた日本にとって勝利実現の要は外交努力を通じた日本に対する国際世論の支持獲得であった。「相手はロシアだ」という一点に軍事、経済、外交と硬軟すべてのベクトルを集中した結果、相手であるロシアに敗北を認めさせ、賠償金の支払い、租借地の割譲、講和条約締結に合意させる。 小泉外交の相手がよく見えてこない理由は国益実現のために相手を動かすといった視点が欠けているからである。外交をあくまで、国内に向けたメッセージ発信の機会としてだけで捉えているように見える。外交には3種の神器がある。軍事力、経済力、そして国際世論である。軍事力、経済力によるアプローチは結構目立つ。可視化が容易である。ところが、国際世論の醸成となると地味である。目立たない。可視化しにくい。相手は政府だけではない。国際機関、NPO、格付け会社、業界などの様々な団体や多くの市民活動との地道な関係構築が求められる。ところが、小泉外交には外交の“見える部分”によるアピールが中心となっている。国際世論を培っていくといった地道なアプローチが少ない。国内では世論というものをあれだけ巧みに使ってきた小泉マジックがなぜ、世界という舞台では国際世論の創出という面で働かないのか。やはり、小泉マジックの相手は国内なのである。国内に対してメッセージ発信するという視点からは国際世論の醸成といった地味で目立たない、可視化しにくいものでは“絵”にならない。ブッシュ大統領と仲良くキャンプ・デービットでキャッチボールするシーン、日の丸のついた飛行機から颯爽とピョンヤンにタラップから降り立つシーン、北朝鮮からの帰国後、拉致被害者の人々の批判を無言で受けるシーン、自衛隊のイラク派遣を神妙な面持ちで発表するシーン、アジア諸国からの批判には屈しないぞと言わんばかり靖国参拝をするシーン、これらは強烈なメッセージ発信はアメリカ、北朝鮮、イラク、中国、韓国などに向けられたものではない。あくまで国内に対して発信されている。外交は国内への小泉メッセージ発信のための舞台なのである。相手を国内に置いている限り小泉流メッセージ力学は国境を越えない。...

  • (コラム)小泉純一郎の戦略コミュニケーションの本質4:小泉的 vs 小沢的、どっちの料理ショー

    小泉的コミュニケーションと両極をなすのが、小沢的コミュニケーションである。選挙用語で地上戦と空中戦という表現がある。地上戦とは候補者が選挙区を足でまわり、なるべく多くの有権者に直接訴える選挙戦術である。“どぶ板選挙”とも言われている。片や空中戦はテレビCM、新聞広告、ポスター、TV番組出演、ウェブ戦略などいろいろな媒体を通じて間接的に有権者に訴えていく選挙戦術である。地上戦が“顔の見える”個々の有権者へのメッセージ発信に対して、空中戦は“顔の見えない”不特定多数の人々へのメッセージ発信である。選挙ではこの地上戦と空中戦の有機的な結びつきが死命を制する。 “顔が見える”のと“顔が見えない”のとではコミュニケーションの原理原則がまったく変わって来る。敢えて、小沢的が地上戦型コミュニケーションであるとすれば、小泉的は空中戦型コミュニケーションである。その端的な例は2006年の千葉補選である。2005年の総選挙での勝利の余勢を駆って自民党陣営は小泉総理はもちろんのこと、話題のポスト小泉候補の御歴々や小泉チルドレンの面々が大挙選挙区に投入された。その基本的なアプローチは個別に訪問するというよりも、選挙区の不特定多数に訴えるやり方であった。当然、人通りのある場所での、テレビ・カメラ目線を十分に意識した遊説やパフォーマンスなどの演出が満載であった。自民党の基本戦略は変わらない。小泉自民党が2005年の総選挙でとった空中戦重視の戦略の延長線上である。当初は自民勝利という見通しが強まる中、メール事件で混迷を極めていた民主党の新代表として小沢一郎が就任する。状況は一変した。マスコミは前回の総選挙で小泉マジックに載せられたという反動から、民主党の方に焦点を移しつつあった。マスコミの変化を考えるならば、民主党も空中戦を展開する土壌の上に立っていた。ところが、小沢一郎の動きは反対に地上戦に向かった。人通りのある場所のみならず、個別の地域に入り込み、リンゴ箱の上での遊説、地域のキーパーソンへの個別訪問などまさに“どぶ板選挙”を地で行く。結果は僅差で民主党の勝利であった。空中戦の小泉に地上戦の小沢が勝った。 小沢的コミュニケーションは“顔が見える”だけに個々の相手の立場や心情をひとつひとつ摘んでいく“気配り”が出発点になる。地上戦だからと言ってむやみやたらと人に会って握手をすればよいと言うことではない。選挙区の中で人のつながりの連結部分にあるキーパーソンを見つけ、相手の気持ちをストレートに掴んでいく。そのキーパーソンがメッセージの“語り部”となって増幅器の役割を果し、支持の連鎖が広がる。そのキーパーソンにどれだけ強烈なメッセージをおとせるかがメッセージの増幅度合い、支持連鎖の広がりとスピードを決める。その鍵は様々な相手の立場に対して、こちらの視点をどれだけ流動化できるかである。別の言い方をすれば、多様な立場の違いをどれだけ柔軟に呑み込めるか。どれだけ相手の視点に立てメッセージを発信できるかが勝負を決める。Market-Inの発想である。小泉的ははじめから“顔の見えない”不特定多数を相手にする。いちいち一人ひとりの有権者の立場や心情を鑑みることはできない。メッセージの決め撃ちが必要となる。また不特定多数を相手にするため、マスメデイアが有権者との間に介在する。マスメデイアがいったんメッセージの受け皿になる。マスメデイアという中継点を通ってメッセージが有権者に運ばれる。マスメデイアの視点によってはメッセージが勝手に歪曲されるリスクを孕んでいる。それだけにメッセージはできるだけ解釈の余地を与えないシンプルで簡潔なものが求められる。小泉的コミュニケーション力がオセロであれば、小沢的コミュニケーション力は詰め将棋である。オセロは一瞬にして白黒のどちらかに勝負がつく。詰め将棋は一つ一つの積み重ねが勝負を決める。小沢的は局地戦につよい。小泉的は総力戦に強い。小沢的は直接相手の気持ちに飛び込むだけにメッセージは外さない。小泉的はマスメデイアというテコを使うため、メッセージを外すリスクが高い。 いずれにせよ、小泉的がいいのか、小沢的がいいのかといった問題ではない。バランスの問題である。小泉的へ傾けば一挙に勝負を決められるが、外したときは完敗である。 小沢的を重視すれば、局地戦はモノにできるが、天下取りに時間がかかる。 天下統一を織田信長流でいくか、武田信玄流でいくかの問題である。...

  • (コラム)小泉純一郎の戦略コミュニケーションの本質3:小泉流50/50(フィフティー・フィフティー)の原則

    小泉総理大臣在任期間中の支持率はほぼ50%ラインの前後で推移してきた。 支持率が下がってくると小泉流サプライズを通じて支持率回復を図るというのが小泉政権のひとつのパターンである。サプライズとは意外性の演出である。小泉流意外性の創出には3つの特徴がある。 1.新しいものを取り入れる。 小泉メールマガジンの発行、e-Japan構想の発表、首相官邸でのぶらさがり会見など新たな試みを仕掛ける。日本のヴィジュアル系バンドの元祖であるX JAPANと小泉純一郎という組み合わせは実に妙である。 2.タブーを破る。 北朝鮮への電撃訪問、自衛隊のイラク派遣、靖国参拝などはタブーへの挑戦である。まだ若手で実績のない安部晋三を幹事長に任命するのもある意味この範疇である。 3.逆説的に行動する。 自民党の総裁でありながら自民党を批判する、総理でありながら霞ヶ関官僚組織を叩く、解散は不利と言われながらも解散するなどの“利”または“理”に合わない行動をとる。 小泉サプライズの狙いは強烈な反動を創り出すことである。その反動を利用して自らの存在感をアピールする。サプライズによって衝撃的なメッセージを打ち出し、50%は反対にまわるが、その反作用をテコにあとの50%をキープする。波風を立てるのが小泉流コミュニケーションである。日本的ではない。日本のコミュニケーションの伝統はなるべく波風を立てないことである。間接話法である。小泉流直接話法は欧米的といってよい。小泉流コミュニケーションの凄さは波風を立てるものと立てないものを峻別していることである。世論が二分される様な問題、つまり支持・不支持が50%ラインにならざるおえない問題において敢えて波風を立てる。50:50で勝負をかけてくる。その覚悟がある。30:70でも70:30でもない。世論を二分できないもの、50/50(フィフティー・フィフティー)にならない問題に関しては立場をとらない。解説的に話す、当事者意識がないと言われようと構わない。50%の人々が反対することによって、小泉メッセージは精彩を放つ。それをばねにメッセージ性を高めるのが小泉流50/50(フィフティー・フィフティー)の原則である。そこには最低でも50%ラインの支持率があれば自民党の派閥力学に勝てるという目算がある。 小泉流メッセージは映像が命。 政治家としてのメッセージ性の高さということでは小泉純一郎と菅直人が東西の両横綱である。しかしながら二人のメッセージ性の高さを支える構造が違う。菅直人はひとつのメッセージを伝えるのに多くの“ネタ”を持っている。そしてそのネタが必要に応じて機関銃の如く連射される。ネタとは経験、事実、事象、情報などである。ひとつのメッセージの下に多くのネタが論理的に、体系的に整理された構造をもっており、それが必要に応じてメッセージを伝えるために引き出せる思考回路をもっている。これが菅直人のメッセージ性の高さを支えている。小泉純一郎の場合はここで言うネタが少ない。逆にメッセージの言葉化が上手い。言葉化とはメッセージを簡単な言葉でキャッチコピー化する、理屈抜きの面白さを含んだ言葉、共感を与える言葉、誰でもが知っている一般的な表現だが小泉流の文脈のなかでは異彩を放つ言葉などである。文章ではない、言葉である。文章であれば、多くの言葉を理路整然と並べなければならない。言葉であれば、前後の脈略はどうでもよい。その言葉そのものが前後の脈絡を勝手に作ってしまうほどにメッセージを含蓄した言葉化が小泉は上手い。これが小泉のメッセージ性の高さを支えている。小泉流は10秒でメッセージを伝える。10秒の世界に生きている。小泉純一郎は映像に強い。菅直人は討論に強い。小泉純一郎は印象で勝負する。菅直人は論理で勝負する。国会などでのふたりの討論を見ていると、分は菅直人にある、しかしテレビで放映された映像では小泉純一郎のほうが強い印象を残す。映像目線が小泉メッセージの根幹を成す。...

  • (コラム)小泉純一郎の戦略コミュニケーションの本質2:小泉流メッセージ力学の本質

    世論という「公(おおやけ)」の力のマジック 世論が政治を動かす。当たり前のことである。ところが世論を使って政治を動かすとなると話は別である。特に日本国内において世論を気にする政治家は多いが、世論を利用する政治家は稀有である。政治家のメッセージ性が世論を喚起する。その世論をテコに政治を動かす。このような事象が認識されはじめたのは小泉総理が誕生してからである。 しかし、それ以前の事象として「石原慎太郎現象」がある。石原慎太郎は1994年の東京都知事選で彗星のごとく人気No.1の政治家として登場した。「東京から日本を変える」というスローガンを掲げ、日本で最初の本格的なテレビ・メデイア選挙を展開した。その基本構図は霞ヶ関に象徴される官僚主導・中央集権体制を仮想敵と位置づけ、「Noと言える東京」をスローガンに闘うリーダー像を演出した。まだ人もまばらな朝、出馬宣言を東京都庁の建物を背景に行う等、テレビ目線を意識した選挙戦術を駆使した。その結果、東京都の世論は動く。浮動票を一挙に取り込み、終盤の追い込みで選挙に勝利する。この時から政治家のメッセージ性が注目され始めた。 小泉純一郎と石原慎太郎の共通点は「世論」をテコに勝利をものにすることである。石原慎太郎には組織票はない。自らの名声だけである。小泉純一郎も自民党では“一匹狼”として知られ、彼を支える派閥はなかった。ふたりとも「公」(Public)という存在に着目し、それが潜在させている力を世論の支持というかたちで抽出した。従来のように、組織や派閥など当事者同士を中心に物事を決めていくやり方に対して、「公」(Public)という場に相手を引きずり出し、世論の支持というカナ槌で叩く。小泉流メッセージ力学のルーツは石原慎太郎にあるのだ。 小泉純一郎は世論の力を本格的に活用した日本で最初の政治家といってよい。「公」(Public)が持つ潜在力の本質を直感的に知っており、かつそのマジックに精通した政治家として非常に珍しい存在である。自民党総裁としての6年間、彼の最大の敵は民主党ではなく、自民党の派閥力学であった。傍流であるがゆえに派閥力学を超えた新たな力によって権力闘争を闘い抜くことが必要であった。敵を「公」(Public)の場に引きずり出し、「世論」という剣で砕く、それが小泉流である。自らのメッセージ性を高め、巧みなまでに世論の支持を取り付けながら選挙での勝利のみならず、党内の政争や政局を乗り切ってきた。小泉流メッセージ力学の誕生である。 小泉流コミュニケーションはダークサイドである。  ジョージ・ルーカス製作・総指揮の「スターウォーズ」という映画がある。 全6部作のスペースオペラであるが、この作品の中で「ダースベイダー」という悪を象徴する戦士が、正義の戦士である「ジェダイ」と闘うシーンが多く出てくる。面白いのは悪の戦士である「ダースベイダー」がひとりで複数の「ジェダイ」達と戦うシーンが多いことである。「ジェダイ」の力の源は「フォース」という宇宙に遍在するエネルギーである。それはどちらかというと人間の正の感情を基としているが、これに対し「ダースベイダー」の力の源泉は、ダークサイドの「フォース」と呼ばれ、人間の負の感情に根ざしたものである。つまり、同じ「フォース」でも人間の負の感情をベースとした「フォース」のほうがエネルギー的には強いのである。だから、悪の戦士「ダースベイダー」は複数の「ジェダイ」を相手にできる。しかしながら、6部作という長編の結末は、強いはずのダークサイドの「フォース」が、正義の味方の「フォース」に敗れる。ダークサイドの「フォース」は瞬間的には強烈なエネルギーを出すが、時間をかけて力を積み上げて行く正の感情に根ざしたジェダイサイドの「フォース」の方が結果的には勝つという構図である。 コミュニケーションという「フォース」にも2つの種類がある。ひとつは、人間のもつ正の感情に訴えるやり方である。感謝する、同情する、哀れむ、尊敬するなどの感情である。もうひとつは人間のもつ負の感情に訴える方法である。憎む、羨む、妬む、怒る、恐れるなど人間がもつ「負」の側面に働きかける。 小泉純一郎のコミュニケーションの本質は、基本的には人の負の感情に対して訴えかけることである。言わばダークサイド・コミュニケーションである。負の感情を利用する方が正の感情に訴えるよりも、より強烈なメッセージが発信できる。小泉純一郎のメッセージ発信の構図には、この負の感情をかき立てる仕掛けがビルトインされている。そこにはまず、人々の怒りや妬みをぶつける対象であ“悪の存在”、“国民の敵”となるものが必要となる。その敵が巨大であればあるほど、強ければ強いほど恐怖心や怒りを煽ることができ、広く・浅く・多くの国民にアピールできる。ここでは物事を善悪、白黒という単純明快な構図で色分けすることが重要となる。二元論ですべてを斬るという構図は、国民にとって非常に分かりやすい。当然、小泉純一郎は正義の側である。そして国民に二者択一の選択を迫るのである。 仮想敵をつくることで怒りを醸成し、敵と戦うという構図を土台にメッセージ性を高めるやり方は、歴史上変革期においてよく使われてきた手法である。20世紀前半、ヒットラーが誕生してきた経緯において使われたメッセージ発信の構図等は良い例である。第一次大戦での敗北を喫したドイツでは、経済が破綻し政治は混迷を極め、生活苦の中で多くの国民が変化を強く求めていた。国民感情の底辺に流れていた変化への強い欲求を逆手に、ヒットラーはユダヤ人と共産主義を仮想敵として位置付けた。そして、その仮想敵に対する憎悪を駆り立て、ナショナリズムの高揚を通じてヒットラーは強烈なオーラのようなメッセージを発信し続けたのである。その結果、ナチス・ドイツ第三帝国誕生に向けて人々の意識と行動を大きく動かすことができた。これがヒットラーのメッセージ力学の基本構図である。 小泉流のダークサイド・コミュニケーションは、今まで多くの“国民の敵”をつくってきた。「自民党をぶっ壊す」と言って自民党を、「構造改革の本丸」と言って郵政公社を、「抵抗勢力」と言って造反議員を、さらには民主党を“国民の敵”としてレッテルを貼ってきた。靖国問題では「心の問題」と言い切って中国や韓国に対するプチ・ナショナリズムをも煽った。 ダークサイド・コミュニケーションは確かに短期間で人々の気持ちをつかむ。しかしその反面、反作用も生ずる。複雑化した現実の問題を、ある意味二元論ですっぱりと斬るため、時間の経過とともに事実関係の齟齬をきたしメッセージが劣化してしまう。また、強烈なメッセージ発信であるだけに、まわりの期待値を上げ過ぎてしまい、少しでも期待に答えられないとその反動がくる。しかも、白黒をはっきりさせるため、今まで培ってきた支持者との関係を壊すことにもなる。ダークサイド・コミュニケーションはそのメッセージ性が強烈なため、その副作用も大きい。この副作用をどうコントロールするかがこの“力”を使うための要諦である。並大抵の政治家では使いこなせない。小泉純一郎はメッセージ力学の魔術師なのである。...