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Year: 2010

  • 立ち位置をつくる=ポジショニング(POSITIONING) ~実学のすすめ~

    少し古いニュースになりますが、大型タッチパネルディスプレイを搭載した次世代の飲料自販機がJR品川駅に設置されました。 顧客属性(性別・年代)や気候、時間帯、環境などに応じて推奨商品が変わるスグレモノです。 http://www.jre-water.com/pdf/100810jisedai-jihanki.pdf http://www.youtube.com/watch?v=S2hwnGrn3go 技術の進歩に驚くとともに「夕方になると売れ残り商品を自己判断で値下げする」スーパー自販機や、「深夜の泥酔客だけは料金が倍になる」ボッタクリ自販機などが登場するのも時間の問題、と勝手に想像を膨らませています。...

  • 職業選択の自由 ~立ち位置をどうつくる~

    「学問のすすめ」は“立ち位置”の重要性を説いた日本で初めての指南書である。 明治になってから人々は士農工商という身分制度に縛られずに自分の職業を自由に選べるようになった。それまでは士農工商という身分制度の中で職業とは“選択するもの”ではなく、“与えられるもの”であった。武士の家に生まれれば武士、農民の家に生まれれば農民というように天から与えられる、いわゆる“天職”のようなものであった。...

  • 国の立ち位置が危ない ~福沢諭吉の発想~

    世界における日本の立ち位置が揺らいでいる。 2006年9月に安部内閣が発足してから、菅新総理が誕生するまでに総理が5人代わっている。主要先進国の中でもこれだけの頻度で国のトップが代わる国家も稀である。さらには、出来立てホヤホヤの管総理も今年7月に行われた参院選挙で参院での与党議席過半数を大幅に下回る結果となり、すでに首相退陣論が党内、野党から声高に叫ばれ、その渦中にある。...

  • 信長の破壊の流儀 – 第14回 ステークホルダーの意識改革、天下統一の道筋をつくる

    シリーズ最終回は今まで幾度も書いてきたことだが、信長のなし得た人の意識の変革について改めて語り、しめくくりとしたい。 織田信長は1582年京都本能寺の変によって天下統一の志半ばで倒れる。天下統一の実現の途上半ばで、信長は倒れたが、天下統一の道筋はしっかりと作ることに成功したと言える。...

  • 信長の破壊の流儀 – 第13回 家臣団の意識を「一所懸命」から「一生懸命」へ

    信長は、家臣団の意識を「一所懸命」から「一生懸命」に変革した。 鎌倉、室町期の武士は「土地」への執着が強かった。もともと武士の発祥は土地の開拓開墾者である。彼らは自らが開拓、開墾した「土地」を懸命に守ることを本領とする。「一所懸命」である。そして、その「土地」を保護してくれる者に対して忠誠を誓う。...

  • 信長の破壊の流儀 – 第12回 信長、家臣団の意識と戦う

    その中で、信長がいち早く、戦国大名が持つこの支配の脆弱性を克服、天下布武という自らのビジョン実現に向けて家臣団を動かした。 1567年9月に信長は美濃の斎藤氏が居城とする稲葉山城を落城させ、美濃攻略を果す。その翌年8月には、足利義昭を奉じた上洛軍を編成、4万の軍勢を統率し、わずか1カ月あまりで入京を実現させる。そして、その後は四面の敵に臨機応変に信長軍を展開、天下布武への道筋をつける。信長は既にこの時点で、他の戦国大名とは異なった“集権”、あるいはトップ・ダウンという支配関係を家臣団との間に確立していた。...

  • 信長の破壊の流儀 – 第11回 “集権”をすることは自殺行為

    信長が掲げた天下布武には信長による直接支配、直接統治という意味合いが色濃く含まれている。当時の戦国大名諸侯が一般的に描いていた、あるいは想像していた天下統一とは、自らの手で上洛、足利幕府を再興、幕府の最高実力者として大名諸侯の連合体の上に君臨するといったものであった。 上洛を試みた今川義元、武田信玄なども上洛後の政体を同様に考えていたものと想像される。...

  • 信長の破壊の流儀 – 第10回 「分散」のベクトルVS「集中」のベクトル戦い

    前回の「現世利益」vs「来世利益」で紹介した信長が成し遂げた意識づけに加え、今回は社会そのものを動かした意識改革を紹介する。 15世紀の終わりから16世紀半ば過ぎまでの期間は、日本史上でも最も社会が激しく動いた時代のひとつである。中世社会を規定していた中央集権的性格の色濃い荘園公領制、守護、地頭制の崩壊に伴い、支配の秩序が大きく変質した時代であった。...

  • 信長の破壊の流儀 – 第9回 「現世利益」VS「来世利益」の戦い

    どのようにして長きにわたる一向宗との経済戦争に勝利したのか。それはこの「現世利益」VS「来世利益」を紐解くことが重要だ。 石山本願寺を頂点とする一向宗は各地で守護、大名、国人などの領主層との経済権益争いを絶えず起こしていた。...

  • 信長の破壊の流儀 – 第8回 仏教勢力との戦いは経済戦争

    実は、信長と石山本願寺一向宗との争いは信長が天下布武を唱えるかなり以前から始まっていた。 信長の育った東海一の港町、津島は、一向一揆が盛んであった伊勢長島と川を1つ隔てたところにあった。当時、津島も長島も新興商人、流通・運送業者、独立農業開拓民などの新興勢力が活躍した地域である。...