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Author: Corporate Marketing

  • 信長の破壊の流儀 – 第13回 家臣団の意識を「一所懸命」から「一生懸命」へ

    March 18, 2010

    信長は、家臣団の意識を「一所懸命」から「一生懸命」に変革した。 鎌倉、室町期の武士は「土地」への執着が強かった。もともと武士の発祥は土地の開拓開墾者である。彼らは自らが開拓、開墾した「土地」を懸命に守ることを本領とする。「一所懸命」である。そして、その「土地」を保護してくれる者に対して忠誠を誓う。...

  • 信長の破壊の流儀 – 第12回 信長、家臣団の意識と戦う

    March 15, 2010

    その中で、信長がいち早く、戦国大名が持つこの支配の脆弱性を克服、天下布武という自らのビジョン実現に向けて家臣団を動かした。 1567年9月に信長は美濃の斎藤氏が居城とする稲葉山城を落城させ、美濃攻略を果す。その翌年8月には、足利義昭を奉じた上洛軍を編成、4万の軍勢を統率し、わずか1カ月あまりで入京を実現させる。そして、その後は四面の敵に臨機応変に信長軍を展開、天下布武への道筋をつける。信長は既にこの時点で、他の戦国大名とは異なった“集権”、あるいはトップ・ダウンという支配関係を家臣団との間に確立していた。...

  • 信長の破壊の流儀 – 第11回 “集権”をすることは自殺行為

    March 15, 2010

    信長が掲げた天下布武には信長による直接支配、直接統治という意味合いが色濃く含まれている。当時の戦国大名諸侯が一般的に描いていた、あるいは想像していた天下統一とは、自らの手で上洛、足利幕府を再興、幕府の最高実力者として大名諸侯の連合体の上に君臨するといったものであった。 上洛を試みた今川義元、武田信玄なども上洛後の政体を同様に考えていたものと想像される。...

  • 信長の破壊の流儀 – 第10回 「分散」のベクトルVS「集中」のベクトル戦い

    March 12, 2010

    前回の「現世利益」vs「来世利益」で紹介した信長が成し遂げた意識づけに加え、今回は社会そのものを動かした意識改革を紹介する。 15世紀の終わりから16世紀半ば過ぎまでの期間は、日本史上でも最も社会が激しく動いた時代のひとつである。中世社会を規定していた中央集権的性格の色濃い荘園公領制、守護、地頭制の崩壊に伴い、支配の秩序が大きく変質した時代であった。...

  • 信長の破壊の流儀 – 第9回 「現世利益」VS「来世利益」の戦い

    March 2, 2010

    どのようにして長きにわたる一向宗との経済戦争に勝利したのか。それはこの「現世利益」VS「来世利益」を紐解くことが重要だ。 石山本願寺を頂点とする一向宗は各地で守護、大名、国人などの領主層との経済権益争いを絶えず起こしていた。...

  • 信長の破壊の流儀 – 第8回 仏教勢力との戦いは経済戦争

    February 26, 2010

    実は、信長と石山本願寺一向宗との争いは信長が天下布武を唱えるかなり以前から始まっていた。 信長の育った東海一の港町、津島は、一向一揆が盛んであった伊勢長島と川を1つ隔てたところにあった。当時、津島も長島も新興商人、流通・運送業者、独立農業開拓民などの新興勢力が活躍した地域である。...

  • 信長の破壊の流儀 – 第7回 信長の最大の敵=意識の壁、石山本願寺率いる一向一揆

    February 24, 2010

    前回の「岐阜の城下町は『バビロンの雑踏』」に引き続き、今回も信長の最大の敵について説明する。 石山本願寺の率いる一向一揆は信長の最大の敵であったといっても過言ではない。 1580年に和睦が成立するまで信長は石山本願寺と10年間戦い続けた。...

  • 信長の破壊の流儀 – 第6回 岐阜の城下町は「バビロンの雑踏」

    February 18, 2010

    フロイスの「日本史」は岐阜城下町の様子をこのように伝えている。 「取引や用務で往来するおびただしい人々で道はにぎわい、一歩、店に入れば、商いと雑踏で家の中では自分の声が聞こえぬほどだった。昼夜、ある者は賭け事をし、飲食、売買、また荷造りに忙しく立ち働いているのだ。人口は八千人ないし一万人で、バビロンの雑踏を思わせた」...

  • 信長の破壊の流儀 – 第5回 「土地本位制」から「銭本位制」へ

    February 17, 2010

    信長は軍事力で天下布武を行ったのではない、信長は経済力によって天下を取ろうとした。 御旗のデザインに永楽銭を使ったことが象徴している。永楽銭とは、当時、日本で最も信頼され、普及していた中国の明の貨幣である。まさに、「銭で天下を取る」という信長の意志表示である。 信長は経済力をテコに天下統一の道筋を作ったとも言える。...

  • 信長の破壊の流儀 – 第4回 信長の破壊と革新

    February 16, 2010

    織田信長は天文20(1551)年に織田家の家督を相続、天正10(1582)年に本能寺の変で倒れるまでの31年間という短期間に急激な成長を成し遂げている。 それを端的に表すのが信長が支配した地域の石高である。...