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Author: Corporate Marketing

  • 田中慎一が慶大生と「戦略コミュニケーション道場」座談会を行いました。(3)

    田中慎一が後輩の慶大生と「戦略コミュニケーション道場」座談会を行いました。 最終的にはキャリアを形成する学生の方々に向けて、戦略コミュニケーションから広報・PRの歴史と展望についてまで話は広がりました。 参加頂いた方の感想を一部ご紹介いたします。 「PR会社がどのような会社であるのかについて、社会での必要性や今後の可能性を知る事ができ、自分のキャリアプランを考える上でとても有意義な時間になりました。 残りの大学生活の中で、日本流や自分流の戦略コミュニケーションは何かについて考えていきたいと思います。」 ご参加頂いた皆さんありがとうございました。...

  • 田中慎一が慶大生と「戦略コミュニケーション道場」座談会を行いました。(2)

    田中慎一が後輩の慶大生と「戦略コミュニケーション道場」座談会を行いました。 田中自身の経験を交えながら具体的な事例をお伝えすると、学生の皆さんからは質問が次々と寄せられていました。 参加頂いた方の感想を一部ご紹介いたします。 「戦略コミュニケーションと言われてもピンと来なかったのですが、実際に田中さんのお話を伺うと参考になることが多く、今後の生活にも活かして行きたいと思いました。 また、選挙にとても興味を持っているため、実際に選挙を戦ったとこのある田中さんから選挙についてのお話を聴くことが出来たことはとても意義深い経験でした。 お伺することが出来てとても良かったです。ありがとうございました。」...

  • 田中慎一が慶大生と「戦略コミュニケーション道場」座談会を行いました。(1)

    2月12日に慶應義塾大学の学生の方々にご来社頂き、田中慎一と「戦略コミュニケーション道場」座談会を行いました。 田中の後輩にあたる6名の現役学生と今春入学予定の高校生と、ランチを取りながらの気軽な雰囲気で始まった座談会でしたが、内容は徐々に白熱し、戦略コミュニケーションとは何か、世界と対峙できるリーダーに必要なコミュニケーションとはどのようなものかについてなどへ話題は及びました。 参加頂いた方の感想を一部ご紹介いたします。 「戦略コミュニケーションとは何かを理解していない状態で座談会が始まりましたが、田中さんの熱心な説明から、普段意識しなかったコミュニケーションというものが、まず人の役に立つこと、また大きな力であることがその影響力とともに理解出来ました。 特に印象に残ったのは、コミュニケーションの前提は相手を知ることであり、日本は欧米型ではなく日本型で戦っていかなくてはならないとおっしゃっていたことです。日本は主張するばかりのリーダーシップの取り方ではなく、その文化的な特性を活かして、相手の気持ちを考えるということを武器にしていくべきだという意見は新鮮でした。 コミュニケーションの力を生かすには自分自身の体験を分析することが大事だということでしたので、今日の経験を今後に活かしていきたいと思っています。ありがとうございました。」...

  • 世界で勝つ方程式、戦略コミュニケーションの発想 (3)

    あらゆる事象の背後には"コミュニケーション"というカラクリがある。それを手繰って行くとひとつの力学が見えてくる。そのメカニズムを把握すると事象に影響を与え、目的実現に資する形で駆使できるという発想、戦略コミュニケーションという発想は何処から来たのか。考えてみるとやはり原点は80年代日米最大の懸案であった自動車通商摩擦での原体験である。それは戦うコミュニケーションから始まった。 「PRってなんですか?」、「分からぬ、ただ、これから企業にとって大事なものらしい。ホンダは見えるものに対しては強いが、見えないものにはどうも弱い、その見えないものを相手にするみたいだ。まあ、頑張って来い。」アメリカのワシントンDCへの赴任を前に上司から貰った餞別の言葉である。1983年7月、27歳の時である。 これがPRとの出会いであり、コミュニケーションという世界に足を踏み入れた時である。80年代初頭ホンダはアメリカでの事業の現地化を推し進める中で、ワシントンDCをPRの拠点とした。日本人の若手を一人よこせということで、何故か広報ではなく、海外営業に籍を置く自分に白羽の矢が立った。下手に広報の知識がない方が良いと思っていたのかもしれない。赴任早々、訳も分からない中でPR会社を雇った。それがフライシュマンヒラードである。その後、その「見えないもの」を相手に7年以上にわたりアメリカでのPR活動を展開することになる。 当時のホンダにとって「見えないもの」とはアメリカの世論である。その動向によって消費者の意識が変わる、販売店の離反が起こる、従業員が動揺する、そして政策も動く。結果、ホンダ車の輸入、販売、現地生産、リコールなどの訴訟対応などアメリカでの一連の事業活動に支障をきたすことになる。いくら品質の良い製品を持っていても、輸入できない、作れない、売れない、訴訟されるということになる。特にアメリカはホンダの生命線とも言うべき市場であり、その動向が経営全体に多大な影響を及ぼす。 1980年代の日米通商自動車摩擦は、今では想像できない程に激しいアメリカでの反日世論に晒されていた。シビックやカローラが失業者達の手で燃やされ、壊される事態が米国自動車メーカーの生産拠点であるミシガン州を中心に頻発していた。アメリカの自動車産業のメッカであるデトロイトで中国系アメリカ人が日本人に間違われてバットで殴り殺された悲惨な事件も起こった。 この過激な反日世論の背景には、日本自動車メーカーは大量の日本車を持ち込み、不当な競争力でアメリカ市場を席巻、アメリカ人の職を奪っているという「社会的空気」があった。自動車産業がアメリカの象徴であったこともアメリカ人の国民的自尊心を傷つけ、事態を加速させることとなる。 米国市場における日本車シェア急拡大の原因は70年代における二度に渡る石油危機により燃費の良い小型車へ需要が急激にシフトしたことである。大型車を主力としていたビッグ3(GM、フォード、クライスラー)はこの市場変化に対応できず、大幅な収益悪化にみまわれ、工場従業員の大規模な解雇を実施せざるを得ない状況に追い込まれていた。1978年10%程度の日本車シェアは1980年には20%以上に上昇、1990年に35%までになって行く。 このような状況の中、ビッグ3と全米自動車労働組合(UAW)がとってきた戦略は、この反日世論を意図的に煽ることによって、日本車を米国市場から締め出し、日本メーカーの米国工場を組合化することであった。アメリカの世論に配慮、米国政府の要請もあり、通産省(当時)は日本車の米国輸出を年間168万台に抑える自主規制を実施した。ビッグ3、UAW側は世論をテコに、この自主規制枠を縮小させるべく米国政府に圧力をかける。更には、日本メーカーの米国工場で生産された車もアメリカ製部品の調達比率が低いということで、輸入車として扱う現地調達法案を議会に提出する。この法案は75%以上の米国製部品を使用していない車は米国製とは認めない内容になっているが、ビッグ3でさえもこの基準は満たしていなかった。明らかに日本自動車メーカー狙い撃ちの法案であった。一方、組合側は、日本メーカーの中で最も現地生産が進んでいたホンダの米国工場の組合化を画策、ホンダを落とせば、トヨタ、日産の工場も落とせるという目論見である。 ホンダの課題は明確に3つあった。①自主規制枠を維持する。生産余力を持つトヨタ、日産は自主規制枠拡大の方針であるが、ホンダは日本からの供給余力がない。トヨタ、日産よりも進んでいた米国での現地生産を推し進めるほか選択肢がなかった。枠を維持することによって、アメリカの世論を緩和させ、一方、トヨタ、日産の日本からの供給を制限できるという狙いがある。②現地調達法案の廃案に持っていく。ホンダの方針は現地調達率をもっと上げて行くことであったが、それには時間がかかる。日本狙い撃ちということもあり、法案の内容も非現実的なもので、現地調達率の定義自身が曖昧なものであった。③ホンダオハイオ州工場の組合化を阻止する。これが最も深刻な問題であった。組合化されると、多品種少量生産の考えをベースとする日本的生産方式が導入できなくなる。当時のアメリカの生産方式は少品種大量生産で何百もの職種に生産工程が細分化され、職種別に賃金も違うという労務形態であった。全ての工程をひとつの職種とし、工程間の異動を自由に行い、多様な車種の生産に柔軟に対応、そしてチームで車の品質を作り込んで行くという日本的生産方式とは全く相容れないものであった。組合化するか否かの判断は従業員にある。組合側が選挙を仕掛け、投票結果が過半数であれば組合化される。 これらの課題はまさに経営に直結したものであった。そして生命線であるアメリカ市場でホンダが生き抜くための戦いであった。 当時、ホンダの会長であった杉浦さんが、ワシントンDCに来た時に言った言葉が今でも強烈な印象として残っている。「アメリカはいずれ太平洋の真ん中あたりに線を引いて、アメリカ側と日本側とをはっきりと分ける。その際に、トヨタ、日産は日本側に落ちても、ホンダだけはアメリカ側に落着くよう頑張れ」。要は「アメリカの世論をホンダの味方につけろ」という意味である。世論を味方につけることによって、アメリカでのホンダの事業現地化戦略推進への障害を乗り越えるという方針の打ち上げである。 それから7年以上にわたり、アメリカの世論をホンダの味方にするべく、試行錯誤が続く。当時やってきた事を今から俯瞰すると、それなりにPR戦略として整理されているように見えるが、当時はPRの理論云々よりも、実践の中で無我夢中にやれる事をやったというのが実感である。 下記に主にやった事を列記する。 ① 日本自動車メーカーとしては未踏の地であり、ビッグ3やUAWが本拠を置く米国自動車産業のメッカ、デトロイトに日本メーカーとして初めて事務所を開設、当時、200人程の自動車産業を追っている記者の囲い込みに入る。当時、デトロイトは自動車記者クラブのような体をなしていた。Wall Street Journal, New York Times, Business weekの大手メデイアはデトロイト支局を置き、自動車産業をフォローしていた。 ②自動車産業の研究拠点の双璧であったミシガン大学、マサチューセッツ工科大学、更にはハーバード、スタンフオード両ビジネス・ビジネス・スクールへの人脈作りを通じてホンダのアメリカにおける戦略、事業展開、その基本的考え方などへの理解を醸成、ケーススタデイーの作り込み、本の出版をし仕掛ける。 ③アメリカにおけるホンダの事業活動最大のエビデンス(例証)であるオハイオ州工場にマスコミ、有識者、州・政府関係者、政治家を個別に招待する戦略を展開する。百聞は一見に如かずである。一日かけてツアーを敢行、ホンダの生産工程、開発、エンジニアリング施設見学、米国部品の調達状況の説明、アメリカ従業員との対話、取引米国部品メーカーへの取材、地域住民との対話集会参加などこちらのメッセージを打ち込む様々なコンタクトポイントをつくる。 ④ホンダの各事務所の相手を明確にし、連携をしながら、一貫したメッセージを発信する体制をつくる。デトロイト事務所はマスコミ、学界を含む有識者、ワシントンDCは議会、政府、シンクタンク、ニューヨークは証券アナリスト、ロサンゼルスは販売店、自動車専門誌、オハイオ州工場は従業員、地域住民、州議会・政府、部品メーカーと夫々が明確に「相手」を規定して発信して行く仕組みにする。これは発信機能だけでなく、受信機能としても働き、世論の動向やホンダのメッセージ発信に対する反応をチェックすることができた。また、夫々の事務所に日本人を貼り付け、米国内における連携の強化と日本とのPR戦略の擦り合わせを迅速に行える体制にする。 ⑤米国3大自動車会議へ積極的に参画をする。ミシガン大学、マサチューセッツ工科大学、最大の自動車産業誌オートモーティブ・ニュースが主催する自動車会議にスピーカーの提供、有識者、マスコミとの関係作りを積極的にしかけていく。 ⑥ホンダの現地化戦略がアメリカの経済、競争力に大きく貢献するというメッセージを伝えるためのイベントを実施する。1985年に米国での開発、調達、生産、販売、海外への輸出を一貫して行える体制の構築を謳ったホンダ米国自立化戦略をオハイオ州ホンダ工場で記者会見、発表する。Wall Street Journalでは発表当日までの5日間、連続で一面トップ記事でホンダの米国現地化戦略を取り上げるなど、大きな反響を呼ぶ。1987年には日本自動車メーカーとして、初めて米国製ホンダ車の日本への輸出を開始、輸出港ポートランドで政治、政府、マスコミ関係者を招待、輸出イベントを開催、自動車マスコミのメッカであるデトロイトとポートランドをサテライトでつなぎ、ライブ・オンライン記者会見を実施する。更には、3大テレビネットワークに話を持ちかけ、うちABCとNBCが当日、ポートランドから生で全国に放映する。政治、政策の府であるワシントンDCに最も影響力のあるワシントン・ポスト紙に働きかけ、米国製アコードが日本に向けて船積みされる写真が一面トップで掲載を実現した。 ⑦ホンダの「顔」をつくる戦略を展開する。当時、ホンダは商品ブランドは確立されていたが、企業ブランドが無かった。アメリカでの事業展開を可視化するだけでなく、ホンダの「顔」を見せることが、特にアメリカの世論に働きかけるためには必須であった。それには実際に事業戦略の意思決定を行っている日本人トップマネジメントを「顔」として売り出すことある。アメリカ人の顔ではなく、日本人の顔である。社内からは多くの反対があった。特に日本からは。アメリカの世論を相手にするなら、なるべく日本色は消す方が良いということがその論拠である。しかし、ここはアメリカの日本人トップのサポートもあり、強行突破した。結果、表面的にアメリカ人の顔を出すより、堂々と日本人の顔で勝負したことが世論に対しては効果が高かった。これは組織よりも個人に注目するアメリカの国民性に負うところが大きい。 ⑧最後は、1989年、創始者、本田宗一郎さんが米国自動車産業の殿堂入りを日本人として初めて果たしたことである。殿堂入り受賞式では本田さんが「アメリカありがとう!ホンダはアメリカのおかげで一人前の自動車メーカーになれました。本当にありがとう!」とアメリカに対する感謝からスピーチを始めた。Thank youとHallowしか英語を知らない本田宗一郎さんは、ひたすら「ありがとう、ありがとう」とスピーチの中で連呼、話を終えたその瞬間に観衆からのスタンデイング・オベーションが起こった。その時は身の震えが止まらなかった事を今でも鮮明に覚えている。アメリカの世論を味方にしたという強烈な実感である。 PRとの出会いは、まさに戦うコミュニケーションから始まった。コミュニケーションは武力、財力、権力と並ぶ、あるいはそれ以上の、人を動かす力学であるという実感、それはホンダのアメリカの事業戦略を守ることに直結したパワーであるという認識がここから生まれた。戦略コミュニケーションの発想が体得できた原体験であった。...

  • 世界で勝つ方程式、戦略コミュニケーションの発想 (2)

    「五輪書」という本がある。あの有名な剣術家、宮本武蔵の兵法書である。 齢60歳の時に九州肥後の岩戸山に上り、天を拝し、観音を礼し、仏前に向かい、47年間の剣術修行の真髄をしたためたものである。 読むと次の文に惹きつけられる。「我に師匠なし。今此書を作るといえども、仏法・儒道の古語をもからず、軍記・軍法の古きことをもちいず、此の一流の見たて、実の心を顕す事、天道と観世音を鏡として、十月十日の夜寅の一てんに、筆をとって書初むるもの也。」兵法の本質は全て「自分の内にある」という武蔵の宣言である。心を静寂にして自己との対話の中でその「体験を見極める」と云う武蔵の覚悟である。過去の書籍や教えに一切頼らず、自分の長年の経験の中からのみ掴み取った原理原則を「五輪書」に書き綴ったという武蔵の自負である。 この武蔵の姿勢が戦略コミュニケーションの世界に通じるところに大いに感じ入った。コミュニケーションを戦略実現のための力学として捉えた時、その真髄は実際の経験から弾き出したものでないと実践の役に立たない。本をいくら読んでも、人からいくら教えてもらっても左脳での理解だけでは歯が立たない。目の前の具体的な課題に取り組み、その経験から本質を掴み取る右脳での体得がないと事に対応することができないのがコミュニケーション力学の世界である。 「戦略コミュニケーション」は"造語"である。戦略的コミュニケーションという表現は良く使われるが、大きな違いは"的"がついていない。"戦略的"はあくまでコミュニケーションの中での話になる。戦略性の高いコミュニケーションと言ったニュアンスで、何を持って戦略性かはっきりしない。"的"を外すことで戦略とコミュニケーションは別物でなく、表裏一体であることを示す。戦略があっても周りがその実現のために動くよう影響を与えなければ何事も起こらない。人に影響を与え動かすためのコミュニケーション力学が不可欠になる。人の世である限りこれは「常識」であるが、コミュニケーションは別物という認識が特に日本ではまだ強い。優れた戦略が稚拙なコミュニケーションによってダメになるケースが日常茶飯事に起こっている。戦略とコミュニケーションは不可分なのだと説明をすると頭では理解してくれるが、発想を持つまでには落ちない。やはり、発想を待つまでに落とし込むには"修羅場"とも言える経験が必要となる。 コミュニケーションの世界に関わりを持つこと30年、その体験の中で培ってきた"発想"を表現しようとした際に出て来たのが「戦略コミュニケーション」と言う言葉である。これからグローバル化の波が押し寄せる中で、この"発想"を持つことが成功のためのルールである。英語力、MBA、ビジネス理論をいくら習得しても世界では勝てない。人生を生き抜く上で、企業が事業戦略を実現する上で、国が繁栄する上で必要不可欠な「発想」が戦略コミュニケーションの発想である。 この発想を体得する鍵は自分の内にある。培ってきた体験の中にある。そこから原理原則を捻り出す絶え間ない努力と工夫が必要である。日常の些細な経験の中にも戦略コミュニケーションの発想を身につけるための秘宝は多く隠されている。人生は毎日が修羅場 。その日々の修羅場から"世界で勝つ方程式"を感得するぐらいの気構えが重要である。宮本武蔵の「五輪書」に流れている"姿勢"がここにある。...

  • 世界で勝つ方程式、戦略コミュニケーションの発想 (1)

    2015年はクライシスモードで始まった。まずはマクドナルドの異物混入。ナゲットへの青色ビニール片の混入を発端に一斉に過去の異物混入のケースが表面化する。正月明けに記者会見を開くが事態はますます悪化、マクドナルドの事業活動に大きな影響を与える。今後、食の世界では過去公表されていない異物混入噴出への対策、初動対応の迅速化など新次元のクライシス対応が求められる。 アメリカで炎上しているタカタのエアーバッグ問題では、昨年行われた2回の公聴会でタカタが立場を明らかにしたものの炎上は加速、アメリカ世論はタカタ糾弾に動き出す。更にはホンダやトヨタなど自動車メーカーにまで火の粉が飛ぼうとしている。自動車の電子化に加え海外生産の拡大がサプライチェーンからくるリスクを空前のレベルにまでに押し上げている。クライシス対応の巧拙が経営全体に影響を及ぼし始める。 最後はイスラム国による日本人人質問題である。安部首相の中東訪問時の難民への人道支援の発言から拉致された日本人2人の身代金要求へと発展、結果最悪の事態になる。日本にとって-“テロ”が身近かなものとなる。外からの脅威というリスクの増大が日本の世界での中立的な立ち位置に大きく影響する事態になった。 これらの一連の危機はひとつひとつが固有で一過性のものとして捉えるべきではない。有事365日の時代の到来を象徴した出来事と考える事が肝要である。その対応や報道内容を見ていると、この異次元での危機の時代を向かえる上で日本の企業、日本の国、更には日本人として欠けてるものが幾つか見えてくる。 一つは世間の関心が危機の事後に集中し過ぎている。 事が起こってからどのように対応したかが議論の中心になっている。 対応の是非を精査することは重要だが、何故事態を回避できなかったかと云う事前の議論も重要である。クライシスは回避するに越したことはない。個人も、企業も、国も新次元のリスク管理が問われてくる中で尚更のことである。 しかしながら、最も懸念されるのが戦略コミュニケーションの発想の欠如である。 世界はコミュニケーション戦争に突入していると言っても過言ではない。政治や外交だけではない、ビジネスにおいても。また中東やウクライナなど特定地域に限られたことではない。全世界がコミュニケーションの戦場なのである。お互いにメッセージというミサイルを撃ち合い戦っている。それらがいろいろな思惑、誤解、曲解、牽制、妥協を生み、 武力による戦争以上に、市場での競争を超えて、人々を動かし政治、外交、ビジネスにおいて新たな現実を作り上げている。これが価値観の多極化、利害錯綜のグローバル化、社会のネット化がもたらす今の現実である。ここではコミュニケーションの力学が物を言う。メッセージというミサイルで相手を直接攻撃する。相手が発信したものを捉えてこちらのメッセージで迎撃する。そこでは発信するだけでなく、空気を読む、読まれまいと云う受信の攻防戦も繰り広げられる。世間ではコミュニケーションは発信であるという思い込みがあるが、全ては受信あっての発信である。コミュニケーションの戦場での稚拙で無防備な発信は命取りになる。 マクドナルドは昨年に食肉偽装の問題でクライシスを経験している。その経験に基づいたしっかりとした発信が全く為されなかった。稚拙な発信であった。タカタのエアバッグ問題もかなり以前から顕在化、対応の甘さは否めない。アメリカ世論の空気が読めない中での無謀な発信であった。安部首相の中東訪問にしてもタイミングが悪い。あるコメンテーターが「イスラム国は日本を敵にする意図が既にあった」と述べた。全く間違った認識である。コミュニケーション力学を心得ない誤ったコメントである。安部総理の発信をこれ幸いと利用、イスラム国のプロパガンダに使ったのである。法外な身代金請求はダメもとである。内容はどうであれ日本の発信がイスラム国に口実を与え、最悪の事態を招く結果となった。 発信したものがメッセージではない。相手に伝わったものがメッセージである。 Aと発信しても相手はBと受け取る。コミュニケーション世界の基本前提である。 だからこそ、相手に確実にAと伝わるようにコミュニケーションを発想する。相手によって伝わるメッセージが異なるという現実を直視することである。誤解、曲解の世界なのである。誤解は解けるが、曲解は解けない。達が悪い。今回の日本人人質事件もイスラム国による曲解である。いくら人道支援だと言っても相手は意図して聞く耳を持たない。 有事365日の時代にコミュニケーションを力として意識しないことは、国にとっても、企業にとっても自殺行為に等しい。世界がコミュニケーション戦争の修羅場と化している中を武器、弾薬も持たずに戦場を歩くようなものである。コミュニケーションをいかに有事の政治力、外交力、経営力に転換できるかがこれからの”勝負”を決める。戦略実現のための力学としてコミュニケーションを見る発想が必要となる。戦略コミュニケーションの”発想”である。...

  • 新たな局面を迎えた食品企業の危機管理について田中慎一がJapan In-depthに寄稿しました。

    新たな局面を迎えた食品企業の危機管理について田中慎一がJapan In-depthに寄稿しました。 【マクドナルドを他山の石とせよ!】~企業受難の時代/危機管理新次元 1~ 【マクドナルドを他山の石とせよ!】~企業受難の時代/危機管理新次元 2~ 【マクドナルドを他山の石とせよ!】~企業受難の時代/危機管理新次元 3~  ...

  • 異物混入問題についての田中慎一のコメントが朝日新聞に掲載されました。

    異物混入問題についての田中慎一のコメントが朝日新聞に掲載されました。 異物混入、意識にズレ 「ゼロ」前提の消費者/企業は「難しい」 ネットで拡散、対応を模索...

  • タカタ問題についての田中慎一のインタビューが日本経済新聞の紙面座談会に掲載されました。

    タカタ問題についての田中慎一のインタビューが日本経済新聞の紙面座談会に掲載されました。 製造物責任、タカタ問題の教訓 対応と意識カギ...

  • マクドナルドの異物混入対応について田中慎一のインタビューが弁護士ドットコムニュースに掲載されました。

    マクドナルドの異物混入対応について田中慎一のインタビューが弁護士ドットコムニュースに掲載されました。 「マクドナルドはパンドラの箱を開けた」 広報コンサル社長が異物混入「対応」を分析  ...